3_学校のこと

2020年1月 1日 (水)

自分の髪型を学校が突然禁止した


 公立の高校生です。先日いきなり,全校集会で校長が新しい校則として,髪型は「ツーブロック禁止」だと発表しました。「高校生らしくない」っていうのが理由だっていうんですが,将来美容師になりたい自分は,全然納得いかないです。





 突然ですが,「慶安(けいあん)の御触書(おふれがき)」というものを,聞いたことがありますか。


 私が子どもの頃には,こう習いました。

 1649(慶安2)年,江戸幕府が農民たちを支配するために出したルールで,

 食べるもの,着るものなど,暮らし方を細かく縛ったもの【★1】


 そして,こういうルールが作られた背景には,

 「農民たちは愚(おろ)かだ」という考え方があった,とも習いました。


 私は,校則がこの御触書と似ている,と感じます。

 力をもった上の人間が,一方的に,一人ひとりの生き方を縛るルールを勝手に決めてしまう。

 それが,まるで同じだと思うのです。


 でも,21世紀の今の日本の学校の校則が,

 400年も昔の御触書と同じであってはいけません。

 ルールの中身についても,そして,ルールの作られかたについてもです。




 ルールの中身の問題について考えましょう。



 憲法という,国のベースとなるルールは,

 一人ひとりを大切な存在として扱っています【★2】


 自分で自分の生き方を決められること【★3】

 自分の思いや気持ちを表現できること【★4】

 それらは,よっぽどのことがないかぎり制限できない,とても大切なことです。


 髪は,体の一部です。

 そして,顔という,その人らしさに直結する部分にあります。


 どういう髪型で暮らすかは,

 その人のプライドやセンスに関わることで,

 自分の生き方や,自分らしさの表現そのものです【★5】

 髪型は,大人だけでなく,自分自身を形づくる時期にある子どもにとっても,重要です【★6】


 裁判所も,一人ひとりに髪型の自由があるということを,はっきりと認めています【★7】【★8】


 ただし,罪を犯して刑務所にいる人には,髪型の自由がありません。

 それは,刑務所という,もともと自由が制限されている特別な場所で,

 受刑者を管理するために必要だからです【★9】

 でも,学校で学んでいる子どもたちに,

 刑務所にいる人と同じりくつは,あてはまりません。



 髪型の校則について,裁判で争われたことが,いくつかあります。


 今から30年以上前,

 ある公立中学校の「男子生徒は丸刈り」という校則について,

 裁判所は,

 教育上の効果があるかどうか疑わしい,とまで言いながら,

 他方で,丸刈りの校則は,まったくおかしいとまでは言い切れない,として,

 生徒側の訴えを認めませんでした【★10】


 また,ある私立高校の「パーマ禁止」という校則について,

 裁判所は,

 髪型は,個人の人格に直接結びつく大事なことだ,と認めながらも【★8】

 私立の学校に生徒が自分から希望して入学した,ということを重視し,

 パーマ禁止の校則は,まったくおかしいとまでは言い切れない,として,

 やはり生徒側の訴えを認めませんでした【★11】


 でも,これらの判決の考え方は,まちがっています。


 髪型の自由は,憲法が守っている,だいじなものです。

 そして,日本が世界との間で約束している「子どもの権利条約」でも,

 学校のルールは,子どもたち一人ひとりの尊厳(そんげん)に合うようにしなければならない,と確認しています【★12】


 それほどだいじな髪型の自由を,安易に校則で縛ることは許されません。

 校則で縛らなければいけないような,よっぽどの理由が本当にあるのか,

 それをしっかり議論しなければならないのに,

 「校則で縛っても,まったくおかしいとまでは言い切れない」,

 つまり,「おかしいのは確かだけど,『まったくおかしい』というわけではないからOK」と,

 そんな適当な考え方で認めてしまうのは,

 問題に正面から向き合わず,髪型の自由をないがしろにするもので,それこそまったくおかしなことです【★13】


 ツーブロックが「高校生らしくない」という理由で禁止されたということですが,

 「高校生らしい髪型」というもの自体,とてもあいまいです。

 一人ひとりを大切にせずに,

 学校が勝手に想像する「らしさ」を押しつけて管理するのは,

 支配であって,教育ではありません。


 私は,ツーブロックが「高校生らしくない」とは少しも考えませんし,

 仮に「高校生らしくない」と考える大人がいたとしても,

 その髪型での通学を禁止しなければならないよっぽどの理由も,見当たりません。




 ルールの中身だけでなく,ルールの作られかたも問題です。



 ツーブロック禁止を,ある日突然校長が発表した,ということでしたね。


 私が10代の子どもたちと話をしていると,

 子どもたちはみんな,

 ルールは,上の人たちが勝手に決めて,自分たちを縛るもの,

 そのルールを破ったら罰(ばつ)やペナルティがあるもの,と思っています。

 私が,

 「そうじゃないよ。ルールは,一人ひとりを守るためのもの。ルールには必ず理由があるし,おかしいルールには,『おかしい』と声を上げて,変えていっていいんだよ」

 と話すと,多くの子どもたちが驚きます。


 校則はみんなのためのルールなのですから,

 ルールを作ったり,変えたりするときに,みんなの意見を聞く必要があるのは,当たり前のことです【★14】

 日本が世界との間で約束している「子どもの権利条約」でも,

 子どもは大人にきちんと意見を聞いてもらえることを確認しています【★15】


 ところが,文部科学省は,

 「条約があっても,子どもの意見を聞きすぎないように。校則は学校が決めること」

 と,世界との約束ごとを小さく見せようとしています【★16】


 学校生活は数年ガマンすればいいから,声を上げないで時が過ぎるのを待つ,という人も多くいます。

 でも,かけがえのない学校生活は,今の時期しかありません。

 これから歩んでいく複雑な社会について学ぶ,今の時期にこそ,

 ルールが何のためにあり,どうやって定められるべきかを,学んでほしいのです。


 仲間の生徒たちを増やしたり,保護者を巻き込んだり,

 そして私たち弁護士のサポートも上手く使ったりして【★17】

 学校と話し合い,おかしな校則を変えていきましょう。




 最初に書いた「慶安の御触書」は,

 私が子どもの頃には当然あったものとして学んだのですが,

 研究が進んだ今では,実際には存在しなかった可能性が高い,と言われています【★18】


 学校が当然と思っているおかしな校則,御触書のようなルールが,この社会から存在しなくなるように,

 みんなで一緒に声を上げていきましょう【★19~21】





【★1】 「一,朝おきを致し,朝草を苅り,昼は田畑耕作にかゝり(かかり),晩には縄をなひ,たはらをあみ,何にてもそれぞれ之仕事,油断なく仕るべき事」「一,酒・茶を買ひ,のみ申す間敷候。妻子同前の事」「一,百姓は分別もなく,末の考へもなき者に候ゆへ,秋に成候得ば,米雑穀をばむざと妻子にもくはせ候。いつも正月,二月,三月時分之心をもち,食物を大切に仕るべく候に付,雑穀専一に候間,麦・粟(あわ)・稗(ひえ)・菜・大根,其の外何にても雑穀を作り,米を多く喰ひつぶし候はぬ様に仕るべく候。飢饉の時を存じ出し候得ば,大豆の葉,あづきの葉,ささげの葉,いもの落葉など,むざと捨て候儀はもったいなき事に候」「一,百姓は,衣類の儀,布木綿より外は帯・衣裏にも仕る間敷事」
【★2】 憲法13条「すべて国民は,個人として尊重される。生命,自由及(およ)び幸福追求(ついきゅう)に対する国民の権利については,公共の福祉(ふくし)に反(はん)しない限(かぎ)り,立法その他の国政の上で,最大の尊重を必要とする」
【★3】 自己決定権と言います。【★2】の憲法13条から導かれます。
【★4】 憲法21条1項 「集会,結社及び言論,出版その他一切の表現の自由は,これを保障する」
 児童の権利に関する条約(子どもの権利条約)13条1項 「児童は,表現の自由についての権利を有する。この権利には,口頭,手書き若(も)しくは印刷,芸術の形態又は自ら選択する他の方法により,国境とのかかわりなく,あらゆる種類の情報及び考えを求め,受け及び伝える自由を含む」
【★5】 裁判例や学説の通説は,髪型の自由は,憲法21条の表現の自由の問題ではなく,憲法13条の自己決定権の問題だ,としていますが,私は髪型も重要な表現の一つだと考えます。
 熊本地裁昭和60年11月13日判決・判例時報1174号48頁(熊本男子中学生丸刈り校則事件) 「原告らは,本件校則は,個人の感性,美的感覚あるいは思想の表現である髪形の自由を侵害するものであるから憲法21条に違反すると主張するが,髪形が思想等の表現であるとは特殊な場合を除き,見ることはできず,特に中学生において髪形が思想等の表現であると見られる場合は極めて希有(けう)であるから,本件校則は,憲法21条に違反しない」
 「確かに,髪型も人の表現方法の一つであるとみることはできよう。…しかしながら,そこからストレートに髪型の自由を憲法21条に根拠づけることには,なお問題がある。…髪型が一定の思想・意見の伝達的意図をもっていることが立証されない限り,髪型の自由を憲法21条に直接根拠づけることは困難であろう。…今日の学説は,髪型の自由の根拠を憲法13条に求める点でほぼ一致している」(広沢明「憲法と子どもの権利条約」48頁)
 「一般に髪型が特定思想の表現であるとは考えられない。髪型は言葉に比べれば表現の手段としてはあまりにも単純・固定的で,具体的な思想を表現するには役立たないのは事実だろう。しかし,だからといって個人の表現と無関係と断定するのは誤りである。…人格の表現がなければ人格と人格との関わりはないし,個性ということもありえない。髪型や服装が人格・個人の表現であることは明らかである。とくに髪型は顔の一部であり,表情の額縁である。だから髪型を制限されれば表情も制限されるということは子どもでも知っている。特に子どもの場合,言葉として表現されるような形での思想が確立していない。思想はピアジェの説を引くまでもなく,人間の行動,感情を言葉の上に移しかえたものである。思想を表現する前の段階として行動・態度・表情・服装などによる人格表現がある,ということは重要な事実である。そういう段階を表現の自由から除いて思想の表現だけを問題にすることは現実を無視した暴論である」(坂本秀夫「『校則』の研究 だれのための生徒心得か」39頁)
【★6】 「少なくとも髪型や服装などの身じまいを通じて自己の個性を実現させ人格を形成する自由は,精神的に形成期にある青少年にとって成人と同じくらい重要な自由である」(芦部信喜「憲法学Ⅱ 人権総論」404頁)
【★7】 東京地裁昭和38年7月29日判決・判例時報342号4頁 「一般に,各人が自己の頭髪の型に関して有する自由については,憲法上直接これを保障する明文の規定はないが,憲法の自由の保障に関する規定は制限列挙的なものと解すべきではなく,本来国民が享有(きょうゆう)する一般的な自由のうち,歴史的,社会的に特に重要なものについて,個別的に明文の規定を置くとともに,そこに記載されていないものについても,一般的にこれを保障する趣旨を含むと解すべきであり,そのことは憲法第13条の規定からも窺(うかが)い得るところである。従って,個人のもつ蓄髪ないし調髪の自由に対して,国家は理由なくこれを制限することは許されないものといわなければならない」
【★8】 東京地裁平成3年6月21日判決・判例時報1388号3頁(淑徳高校パーマ退学訴訟第一審判決) 「個人の髪型は,個人の自尊心あるいは美的意識と分かちがたく結びつき,特定の髪型を強制することは,身体の一部に対する直接的な干渉となり,強制される者の自尊心を傷つける恐れがあるから,髪型決定の自由が個人の人格価値に直結することは明らかであり,個人が頭髪について髪型を自由に決定しうる権利は,個人が一定の重要な私的事柄について,公権力から干渉されることなく自ら決定することができる権利の一内容として憲法13条により保障されていると解される」
【★9】 東京地裁昭和38年7月29日判決・判例時報342号4頁 「受刑者の頭髪を翦剃(せんてい)すべきものとする前記法令ないし被告の取扱いが,合理的理由に基づくものであるかどうかが問題となるが,そもそも,受刑者を刑務所に収容する目的は,犯罪に対する制裁として,身体の自由を拘束し,同時に隔離された場所において犯罪者に矯正策を講じようとすることにあるものと解されるので,受刑者の頭髪に関する自由の制限が許されるかどうかの問題も,かような受刑者の特殊の立場,地位を度外視して論ずることは許されず,前記目的を達するために合理的必要がある限り,右自由に制限を受けることはやむを得ないところといわねばならない。この見地から受刑者の頭髪を翦剃することの必要性ないし合理的根拠を検討してみると,…まず第一に考えられることは衛生の必要性があるということである。…第二の理由として考えられることは,外観上の斉一性を保つ必要があるということであ(る)…第三の理由としては,頭髪を翦剃することの方が、長髪を許し,これを調髪する場合よりも施設,器具等の上で財政上の負担がいっそう軽く受刑者の管理上もいっそう容易であるということである。…これらの理由は,いずれも受刑者の頭髪を翦剃することの十分合理的な理由,根拠となり得るものであって,かかる根拠に基づき受刑者の頭髪を翦剃したからといって,受刑者の頭髪に関する自由を理由なく制限したこととなるものでないことは明白であろう」
【★10】 熊本地裁昭和60年11月13日判決・判例時報1174号48頁(熊本男子中学生丸刈り校則事件) 「中学校長は,教育の実現のため,生徒を規律する校則を定める包括的な権能を有する…右校則の中には,教科の学習に関するものだけでなく,生徒の服装等いわば生徒のしつけに関するものも含まれる。もっとも,中学校長の有する右権能は無制限なものではありえず,中学校における教育に関連し,かつ,その内容が社会通念に照らして合理的と認められる範囲においてのみ是認されるものである…生徒の服装等について規律する校則が中学校における教育に関連して定められたもの,すなわち,教育を目的として定められたものである場合には,その内容が著しく不合理でない限り,右校則は違法とはならないというべきである。
 そこでまず本件校則の制定目的についてみると…被告校長は,本件校則を教育目的で制定したものと認めうる。
 次に,本件校則の内容が著しく不合理であるか否かを検討する。確かに,原告ら主張のとおり,丸刈が,現代においてもっとも中学生にふさわしい髪形であるという社会的合意があるとはいえず,スポーツをするのに最適ともいえず,又,丸刈にしたからといって清潔が保てるというわけでもなく,髪形に関する規制を一切しないこととすると当然に被告町の主張する本件校則を制定する目的となった種々の弊害が生じると言いうる合理的な根拠は乏しく,又,頭髪を規制することによって直ちに生徒の非行が防止されると断定することもできない。…本件校則の合理性については疑いを差し挾む余地のあることは否定できない。しかしながら,本件校則の定めるいわゆる丸刈は,前示認定のとおり時代の趨勢に従い特に都市部では除々に姿を消しつつあるとはいえ,今なお男子児童生徒の髪形の一つとして社会的に承認され,特に郡部においては広く行われているもので,必らずしも特異な髪形とは言えないことは公知の事実であり…本件中学において昭和40年の創立以来の慣行として行われてきた男子丸刈について昭和56年4月9日に至り初めて校則という形で定めたものであること,本件校則には,本件校則に従わない場合の措置については何らの定めもなく,かつ,被告校長らは本件校則の運用にあたり,身体的欠陥等があって長髪を許可する必要があると認められる者に対してはこれを許可し,それ以外の者が違反した場合は,校則を守るよう繰り返し指導し,あくまでも指導に応じない場合は懲戒処分として訓告の措置をとることとしており,たとえ指導に従わなかったとしてもバリカン等で強制的に丸刈にしてしまうとか,内申書の記載や学級委員の任命留保あるいはクラブ活動参加の制限といった措置を予定していないこと、被告中学の教職員会議においても男子丸刈を維持していくことが確認されていることが認められ,…現に唯一人の校則違反者である原告に対しても処分はもとより直接の指導すら行われていないことが認められる。右に認定した丸刈の社会的許容性や本件校則の運用に照らすと,丸刈を定めた本件校則の内容が著しく不合理であると断定することはできないというべきである。
 以上認定したところによれば、本件校則はその教育上の効果については多分に疑問の余地があるというべきであるが,著しく不合理であることが明らかであると断ずることはできないから,被告校長が本件校則を制定・公布したこと自体違法とは言えない」
【★11】 東京地裁平成3年6月21日判決・判例時報1388号3頁(淑徳高校パーマ退学訴訟第一審判決) 「右校則は特定の髪型を強制するものではない点で制約の度合いは低いといえるのであり,また,原告が修徳高校に入学する際,パーマが禁止されていることを知っていたことを併せ考えるならば,右髪型決定の自由の重要性を考慮しても,右校則は,髪型決定の自由を不当に制限するものとはいえない。右のとおり,一方,在学関係設定の目的の実現のために右校則を制定する必要性を否定できず,他方で,右校則は髪型決定の自由を不当に制限するものとまではいえないのであるから,これを無効ということはできない」
 最高裁第一小法廷平成8年7月18日判決・判例時報1176号1頁(淑徳高校パーマ退学訴訟上告審判決) 「憲法上のいわゆる自由権的基本権の保障規定は,国又は公共団体と個人との関係を規律するものであって,私人相互間の関係について当然に適用ないし類推適用されるものではないことは,当裁判所の判例…の示すところである。したがって,私立学校である修徳高校の本件校則について,それが直接憲法の右基本的保障規定に違反するかどうかを論ずる余地はない。所論違憲の主張は採用することができない。
 私立学校は,建学の精神に基づく独自の伝統ないし校風と教育方針によって教育方針によって教育活動を行うことを目的とし,生徒もそのような教育を受けることを希望して入学するものである。原審の適法に確定した事実によれば,(一)修徳高校は,清潔かつ質素で流行を追うことなく華美に流されない態度を保持することを教育方針とし,それを具体化するものの一つとして校則を定めている,…(三)…パーマをかけることを禁止しているのも,高校生にふさわしい髪型を維持し,非行を防止するためである,というのであるから,本件校則は社会通念上不合理なものとはいえず,生徒に対してその遵守を求める本件校則は,民法1条,90条に違反するものではない」
【★12】 児童の権利に関する条約(子どもの権利条約)28条2項 「締約国は,学校の規律が児童の人間の尊厳に適合する方法で及びこの条約に従って運用されることを確保するためのすべての適当な措置をとる」
【★13】 「実質的に校則の内容が合理性を欠いていても,『著しく不合理』な程度に達していなければ違法にならないとしている【★10】の結論には疑問が残る。なぜならそれは,その前段部分で『(中学校長の校則制定権能は)その内容が社会通念に照らして合理的と認められる範囲においてのみ是認される』と判示されていることと整合性を欠いていると言えるほか,実質的に考えても,生徒,教師および親の間の信頼関係の上に成り立つべき教育現場において,『(著しく不合理でなければ)合理性を欠く校則も適法である』というのでは納得がいかないからである。…(【★11】の事案について)現在の感覚からすれば,パーマは髪を整える方法の一つであって,パーマと『華美』や『非行』を直接結びつける考え方自体には違和感を禁じ得ない。パーマはかけないようにといういわば学校側の好みを表明すること自体まではよいとしても,これに違反した場合を退学処分や自主退学勧告といった学習権を侵害するような制裁にかからせることには,大きな問題があると言わざるをえない。なぜなら,髪型を選択する自由は憲法13条で保障される基本権であり,学校生活における他者の基本権との衝突を調整するといった限られた場面でのみ,制約が許されるものと解されるからである」(浪本勝年他「教育判例ガイド」69頁)
【★14】 「在学契約説:学校が国公立であると私立であるとを問わず,在学関係は,学校設置者と生徒ないしその保護者とのあいだで,生徒が学校において教育を受けることを契約することによって成立する契約関係ととらえるもの。教育法学会の多数説である。…在学契約説では,学校・教師と生徒との関係は,憲法で保障されている子どもの成長発達と学習権を保障すべき法律関係であって,生徒や親は学校・教師に従属するものではなく対等な権利義務関係に立つことになり,校則は,学校・教師と生徒・親との契約内容を示すものとなる。したがって,校則の内容について両契約当事者の合意が不可欠であるということになり,校則を制定・改変するにあたり,生徒・親の参加は当然のことである。…校則は在学契約の内容の一つであるという立場では,権利の主体である契約当事者の一方の意思が反映されない契約はそもそもあり得ない。とすれば,現行の校則の実態の大部分は,学校・教師から生徒・親に提示された希望内容を明文化したものにすぎないと評価される」(日本弁護士連合会子どもの権利委員会「子どもの権利ガイドブック第2版」84頁)
【★15】 児童の権利に関する条約(子どもの権利条約)12条1項 「締約国は,自己の意見を形成する能力のある児童がその児童に影響を及ぼすすべての事項について自由に自己の意見を表明する権利を確保する。この場合において,児童の意見は,その児童の年齢及び成熟度に従って相応(そうおう)に考慮されるものとする」
【★16】 文部事務次官平成6年5月20日文初高第149号「児童の権利に関する条約」について(通知)
「4.本条約第12条から第16条までの規定において,意見を表明する権利,表現の自由についての権利等の権利について定められているが,もとより学校においては,その教育目的を達成するために必要な合理的範囲内で児童生徒等に対し,指導や指示を行い,また校則を定めることができるものであること。校則は,児童生徒等が健全な学校生活を営みよりよく成長発達していくための一定のきまりであり,これは学校の責任と判断において決定されるべきものであること。なお,校則は,日々の教育指導に関わるものであり,児童生徒等の実態,保護者の考え方,地域の実情等を踏まえ,より適切なものとなるよう引き続き配慮すること。
 5.本条約第12条1の意見を表明する権利については,表明された児童の意見がその年齢や成熟の度合いによって相応に考慮されるべきという理念を一般的に定めたものであり,必ず反映されるということまでをも求めているものではないこと。なお,学校においては,児童生徒等の発達段階に応じ,児童生徒等の実態を十分把握し,一層きめ細かな適切な教育指導に留意すること」
【★17】 弁護士からアドバイスを受けたり,弁護士が学校と話し合いをする方法のほうかに,弁護士会に対する「人権救済申立て」という手続があります。これまでも,各地の弁護士会や日弁連が,この手続で弁護士会から学校や教育委員会に髪型の規制を廃止するよう警告や要望などを出しています。
【★18】 兼子明「所謂『慶安御触書』の教材化に関する一考察-史料的信憑性に対する疑義をふまえて-」
【★19】 「『ブラック校則』の話題は,大阪府立の高校に在籍していた女子高校生の訴えから始まった。たった『一人』の若者による問題提起である。それがいま,本書の出版を含め多方面に影響を与えている。その背後には,きっと声をあげながらも,かき消されていったケースがたくさんあることだろう。そして,声さえあげられずに耐え忍んだというケースは,さらに多いことだろう。それを考えると,『ブラック校則』を見直す機運が高まっているいまこそ,私たちは知恵を出し合い,声を上げていかなければならない。校則の未来は,私たちにかかっている」(荻上チキ・内田良「ブラック校則 理不尽な苦しみの現実」259頁)
【★20】 同志社大学教授・大島佳代子氏「校則を見直すには,多様な意見が反映される場が必要です。教育委員会が音頭を取り,教師や生徒,保護者のみならず,弁護士らが参加して校則の見直しを考える機会を設けたり,大学生と高校生が協働し,夏休みなどに校則を語るプロジェクトを催したりすることも一案です。子どもたちも,校則について検討する過程で,社会規範とは何かを考え,おかしなことに黙っていてはいけないのだと実感できるはずです」(朝日新聞2018年9月4日記事)
 首都大学東京特任教授・宮下与兵衛氏「私は今から20年前,長野県立辰野高校の教員だったときに,学校運営を教職員,保護者,生徒が対等に話し合って決める『三者協議会』という仕組みを作りました。校則も3者で話会い,合意できたら変わります。…ここでは子どもたちは主権者です。自分たちが校則の見直しにかかわれば,必ず責任感も生まれます。三者協議会の仕組みは,学校運営にとってメリットが大きいのに,なかなか日本では広がりません」(朝日新聞2018年9月4日記事)
【★21】 朝日新聞2019年12月2日夕刊記事「校則 誰が決める? 立ち上がる中高生 ネットで賛同募る/学校と話し合い/教員・保護者と『三者協議会』」



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2018年1月 1日 (月)

誕生日が4月1日だと学年が早生まれなのはなぜ?

 

 

 僕は4月1日生まれなんですが,どうして学校では「早生まれ」で1月~3月生まれの人と同じ学年になるんですか? 姉は10月23日生まれで,この前の10月22日の選挙のときにはまだ17歳で18歳じゃなかったのに,投票のハガキが届いたんですが,誕生日って法律で一体どうなってるんですか?

 

 

 

 学校の年度は4月1日から3月31日までなのに【★1】

 4月1日生まれの人は「早生まれ」で一つ上の学年になり,

 4月2日以降に生まれた人と学年がちがう,というのは,なんだかおかしな感じがしますね。




 年齢の数え方は,法律で決まっています
【★2】

 みなさんが考えるとおり,誕生日の午前0時に1つ,歳を取ります。




 むかしは,今とちがう「数え年」という数え方をしていました。

 数え年は,生まれた時が1歳で,その後正月が来るたびに1つ歳をとります。

 今でも,七五三や厄年(やくどし),高齢の方のお祝いなど,

 むかしながらの習慣には数え年が使われることが多いです。


 「数え年」ではなく,今の年齢の数え方の法律は,116年前の1902年(明治35年)に作られていたのですが,

 その後も多くの人たちが数え年を使い続けるので,社会が混乱していました。

 日本が大きな戦争に負けた後の1949年(昭和24年),「数え年を使うのはやめましょう」という内容の法律が,わざわざ作られたほどでした
【★3】



 民法という法律では,

 1年という期間を計算するとき,

 最初の日をカウントしないで,その次の日を1日目としてカウントする,

 というのが基本ルールになっています
【★4】


 でも,その基本ルールをそのまま年齢の数え方にあてはめてしまうと,

 たとえば,4月1日に生まれた赤ちゃんは,

 翌日の4月2日から1年のカウントを始めますから,

 1年の最後の日の4月1日が終わるまで(夜12時になる直前まで)まだ0歳のままで,

 4月2日午前0時にやっと1歳になる,という,おかしなことになってしまいます
【★5】


 なので,年齢の数え方の法律では,

 「基本ルールとはちがって,最初の日を1日目としてカウントする」,としています
【★2】

 4月1日に生まれた赤ちゃんは,

 1年後の3月31日が終わるまで(夜12時になる直前まで)まだ0歳のままで,

 4月1日午前0時に1歳になります。

 私たちの感覚と合いますね。




 今までずっと,「誕生日の午前0時に1つ歳をとる」,という書き方をしてきました。

 それは事実としてはまちがっていないのですが,

 でも,
法律的には,「誕生日の前日が終わる夜12時に」1つ歳をとるというのが,正確な言い方です

 「誕生日の午前0時」と「誕生日の前日の夜12時」は同じ時間のことなのですが,

 法律は,1年間が終わったとき,つまり「誕生日の前日の夜12時」に1つ歳をとる,という考え方をします
【★6】【★7】



 そのことが,4月1日生まれのあなたの学年に関係しています。




 学校教育法という法律では,

 「満6歳に達した日の翌日以後における最初の学年」から小学校に通う,としています
【★8】

 ちょっとわかりづらい表現ですね。


 たとえば,2000年5月に生まれた人なら,

 2006年5月に6歳になるので,

 それ以後の最初の学年,つまり,2007年4月から小学校に通います。


 いわゆる「早生まれ」の人,たとえば,2000年3月に生まれた人なら,

 2006年3月に6歳になるので,

 それ以後の最初の学年である,2006年4月から小学校に通います。




 では,2000年4月1日生まれの人はどうでしょうか。




 「満6歳に達した日」というのは,誕生日の4月1日のことではありません。

 さっき書いたように,「誕生日の前日の夜12時」に歳をとるので,

 
2006年3月31日が,「満6歳に達した日」なのです【★9】

 3月31日は,午前0時から夜12時の直前まではまだ5歳ですが,

 その日の夜12時に6歳に「達した」,だから3月31日が「満6歳に達した日」,というわけです。


 そして,
その翌日である4月1日以後の最初の学年から小学校に通うことになりますが,

 「以後」というのは,その日自体も含みますから,

 ちょうど2006年4月1日に新しく始まるその学年が,その人にとって「最初の学年」になります。


 なので,2006年4月1日から小学校に通うことになり,1~3月生まれの学年と同じ「早生まれ」の扱いになるのです【★10】【★11】



 でも,やっぱりおかしな感じがしますね。



 「満6歳に達した日の翌日」ではなく,

 「満6歳に達した日の翌々日」(2日後),とすれば,

 4月1日生まれも4月2日以降の生まれの人と同じ学年になれるのに,

 どうして「翌日」なのでしょうか。




 学校に通う年齢がしっかりとルールで決められたのは,

 今から118年前,1900年(明治33年)のことでした。

 年齢の数え方の法律ができる2年前です。

 この時のルールでは,「満6歳に達した翌月」から学校に通う,とされました
【★12】



 「翌月」という言葉を入れたのは,子どもを守るためだった,と言われています。

 当時,村会議員や県会議員などが,自分の子どもに早くから学校の教育を受けさせようとして,

 6歳になっていない子どもの歳をごまかして入学させることが起きていました。

 なので,子どもたちがきちんと6歳になってから学校に通うようにするために,「翌月」という言葉を入れたのです
【★13】

 当時はまだ,年齢は,1日単位までは細かく考えずに,○歳○月くらいにおおざっぱにとらえていました
【★14】



 そして2年後,年齢の数え方の法律ができて,1日単位できちんと考えるようになったのに合わせて,

 1903年(明治36年),学校に入学する年齢のルールも,6歳に達した「翌月」から「翌日」に変わり
【★12】

 それが今に引き継がれてきました。


 とても有名な民法の学者の我妻榮は,1897年(明治30年)4月1日生まれでした。

 ちょうどこの新しいルールで早生まれとして小学校に入学することになった,と,自分の民法の本で書いています
【★15】



 しかし,「6歳になっていない子どもを入学させない,きちんと6歳になった子が学校に行けるようにする」,という理由からすれば,

 4月1日生まれの人を,どうしても早生まれの扱いにする必要までは,ないはずです。

 むしろ,学年を1年遅らせて,6歳をしっかり1年間過ごしてから学校に通い始めるほうが,りくつに合っています。

 実際,4月1日生まれが早生まれの扱いになってとまどう人が多いのですから,

 年度の始まりに揃(そろ)えて,4月1日生まれも4月2日以降の生まれと同じ学年になるように,法律を変えたほうが良いと,私は思います。




 それから,あなたのお姉さんは,18歳の誕生日が選挙の次の日だったのに,投票のハガキが届いたということでしたね。



 公職選挙法は,「年齢満18年以上の者」が選挙権をもつ,としています
【★16】

 素直に読めば,選挙当日,投票箱に投票用紙を入れる時点で18歳になっていなければダメのようにも思えます。

 お姉さんは,誕生日の前日,つまり,その選挙の日の,夜の12時に18歳になるのですから,

 夜12時より前に投票箱に投票用紙を入れる時点では,まだ17歳です。


 でも,選挙では,投票する時点よりも,「日にち」自体がとても大事にされています。

 なので,
その選挙の日が終わる夜12時に18歳になる人,つまり誕生日が翌日の人も選挙権を持つ,と解釈され

 実際の選挙でも,裁判所の判決でも,そうなっています
【★17】

 だから,あなたのお姉さんにも,投票のハガキが来たのです。





 法律は,人を年齢で区切ってルールを作っていることが,多くあります。

 そして,わずか1日のちがいが,年齢のちがいになり,

 人生そのものが大きく変わることもあります。

 あなたも,4月1日生まれだったからこそ,

 今の学年の友だちや先生と巡りあったのですよね。

 そう考えると,法律はとても不思議なものだと,改めて思います。

 

 

 

【★1】 学校教育法施行規則59条 「小学校の学年は,4月1日に始まり,翌年3月31日に終わる」
 同79条 「…第54条から第68条までの規定は,中学校に準用する。…」
【★2】 年齢計算に関する法律。わずか3項の法律です。
「1 年齢ハ出生ノ日ヨリ之(これ)ヲ起算ス
 2 民法第百四十三条ノ規定ハ年齢ノ計算ニ之ヲ準用ス
 3 明治六年第三十六号布告ハ之ヲ廃止ス」
【★3】 年齢のとなえ方に関する法律。わずか2項の法律です。
「1 この法律施行の日以後,国民は,年齢を数え年によって言い表わす従来(じゅうらい)のならわしを改めて,年齢計算に関する法律の規定により算定した年数(1年に達しないときは,月数)によってこれを言い表わすのを常とするように心がけなければならない。
 2 この法律施行の日以後,国又は地方公共団体の機関が年齢を言い表わす場合においては,当該機関は,前項に規定する年数又は月数によってこれを言い表わさなければならない。但(ただ)し,特にやむを得ない事由により数え年によって年齢を言い表わす場合においては,特にその旨(むね)を明示しなければならない。」
【★4】 初日不算入の原則と言います。ただし,初日が午前0時からスタートするときは,初日からカウントします。
 民法140条 「日,週,月又は年によって期間を定めたときは,期間の初日は,算入しない。ただし,その期間が午前零(れい)時から始まるときは,この限りでない。」
【★5】 「年齢計算に関する例外については,出生した日にたとえ短時間でも生命を有したのであるから,これを本条(注:140条,初日不算入の規定)のように切り棄(す)てるのは適当でないという考えに基づく」(「我妻・有泉コンメンタール民法-総則・物権・債権-第4版」292頁)
【★6】 民法141条 「前条の場合には,期間は,その末日(まつじつ)の終了をもって満了する」
 「例えば,7月15日から10日間という場合,7月15日の午前0時から起算する場合は7月24日,それ以外の場合は7月25日の夜中の12時に終了する」(内田貴「民法Ⅰ」256頁)
【★7】 4年に1度のうるう年の2月29日に生まれた人の場合,平年は民法143条2項但書により,2月28日が1年間の満了日なので,3月1日に1つ歳を取ります。うるう年のときは2月29日に1つ歳を取ります。
 民法143条1項 「週,月又は年によって期間を定めたときは,その期間は,暦に従って計算する」
 同条2項 「週,月又は年の初めから期間を起算しないときは,その期間は,最後の週,月又は年においてその起算日に応当する日の前日に満了する。ただし,月又は年によって期間を定めた場合において,最後の月に応当する日がないときは,その月の末日に満了する」
 「年齢計算の場合には初日を算入するので,閏(うるう)年の2月29日に生まれた者は,その日が起算日となり,平年である翌年の2月28日が本条ただし書による1年の満期日で,それが満了した時,すなわち3月1日に1歳になる(20歳になる年は当然閏年であるので,2月28日の満了日,すなわち2月29日に20歳になる)。」(「我妻・有泉コンメンタール民法-総則・物権・債権-第4版」295頁)
【★8】 学校教育法17条1項 「保護者は,子の満6歳に達した日の翌日以後における最初の学年の初めから,満12歳に達した日の属する学年の終わりまで,これを小学校又は特別支援学校の小学部に就学させる義務を負う。…」
【★9】 東京高裁昭和53年1月30日判決(判例タイムズ369号193頁) 「明治45年4月1日生れの者が満60才に達するのは,右の出生日を起算日とし,60年目のこれに応当する日の前日の終了時点である昭和47年3月31日午後12時であるところ(年令計算に関する法律・民法第143条第2項),日を単位とする計算の場合には,右単位の始点から終了点までを1日と数えるべきであるから,右終了時点を含む昭和47年3月31日が右の者の満60才に達する日と解することができる」
【★10】 「4月1日生まれの者の就学年度について」(昭和26年2月5日 島根県教育委員会教育長あて 文部省地方連絡課長回答)
 「照会 学校教育法第22条(現行法17条)に『…子女が満6歳に達した日の翌日以後における最初の学年の初から…云々(うんぬん)』と保護者がその子女を就学させる義務を負うていますが,この満年齢の算定について4月1日生れの者は翌年3月31日をもって満1か年に達したと解すべきか,あるいは4月1日をもって満に達したと解すべきか,右の見解いかんによって4月1日生れの子女の就学年度が異なることになりますので御教示(ごきょうじ)いただきたい。」
 「回答 御照会の年齢計算については,年齢計算ニ関スル法律により出生の日より起算して翌年の出生の前日までをもって満1年とすることになっております。すなわち4月1日生れの者は翌年3月31日をもって満1歳になるわけであります」
【★11】 文部科学省ウェブサイト「4月1日生まれの児童生徒の学年について」 http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/shugaku/detail/1309966.htm
【★12】 「今日の就学の始期として厳密にされるのは,1900(明治33)年の第三次小学校令,1941(昭和16)年の国民学校令を経過してからである。明治33年の第三次小学校令は『児童満六歳ニ達シタル翌月ヨリ満十四歳ニ至ル八箇年ヲ以テ学齢トス』とされた。1903(明治36)年3月,年齢計算が年月日に改正されて『月』が『日』になる。」(近藤幹生「明治20・30年代における就学年齢の根拠に関する研究-三島通良の所論をめぐって-」16頁)
【★13】 「第三次小学校令では,『児童満六歳に達したる翌月より,十四歳に至る八ヵ年をもって学齢とす』とされた。就学年齢6歳がより厳密化された。この経緯について,三島は以下のように説明している。『此(こ)の翌月ということは余程意味のあることでござります。満六歳以上というものを就学させるのでござりますから,六歳に達した月ではいけませぬ。児童を保護するためにやったのであります。』『此れまでは,学齢未満の者を小学校に入れるということが沢山あります。種々の名を付けて,父兄が入れたがるのです。それですから,まあ教員もそれを入れるというので,甚(はなは)だしきは,学籍簿を調べると,年齢に合うているけれども,学校に行って,直に子供を捉へ(え)て,お前幾(いく)つだというと,五つですなどというのがござります。誤魔化(ごまか)してやって居(お)ったのでござります。』『どういうものの子かといえば,村会議員でござるとか,県会議員でござるとかいう者の子供です。なかなかこう言う人達が幅が利くから学齢未満の児を無理に就学させるのです』『今度は,一切知事がやるので,教員もこれからの人たちの前でブルブルしなくてよろしい』だから今後は,6歳未満で就学することを厳禁せねばならないと,主張しているのである。」(近藤幹生「明治20・30年代における就学年齢の根拠に関する研究-三島通良の所論をめぐって-」80頁)
【★14】 【★2】の年齢計算に関する法律の3項で廃止された「明治6年第36号布告」
 「自今年齢ヲ計算候儀幾歳幾月ト可相数事 但舊(旧)暦中ノ儀ハ一干支ヲ以テ一年トシ其生年ノ月数ハ本年ノ月数ト通算シ一二ケ月ヲ以テ一年ト可致事」
【★15】 「私は,戸籍簿によると,明治30年4月1日生まれである。『早生まれ』か,『遅生まれ』か。」「(仮に,午前6時に生まれたとすると,)もちろん,明治36年4月1日午前6時に満6歳に達する,といえば,正確であろうが,それでは厄介(やっかい)だから,日を単位にして計算する。そうすると,私が18時間しかこの世に存在しなかった明治30年4月1日というハンパな日は,これを繰り上げて1日とするか,切りすてて0とするか。民法の原則によると,切りすてられる(139条・140条)。だから,私は,明治36年の4月1日の夜の12時に漸(ようや)く満6歳に達することになり,翌37年の4月1日でないと,小学校に入れない。」「ところが,私の入学が問題になる前年,明治35年12月に,『年齢計算ニ関スル法律』というものが施行され,『年齢ハ出生ノ日ヨリ起算ス』ということになった。ハンパな日も繰り上げて1日とされたわけである。おかげで,私は満6歳に物理的?には6時間不足しながら,明治36年4月1日に1年生となった。クラスに私より年の少ない者はいなかった。4月2日生まれの者の入学は1年遅れるからである」(我妻榮著・幾代通・川井健補訂「民法案内 2民法総則 第2版」314頁)
【★16】 公職選挙法9条1項 「日本国民で年齢満18年以上の者は,衆議院議員及び参議院議員の選挙権を有(ゆう)する」
 同条2項 「日本国民たる年齢満18年以上の者で引き続き3箇月以上市町村の区域内に住所を有する者は,その属する地方公共団体の議会の議員及び長の選挙権を有する」
【★17】 大阪高裁昭和54年11月22日判決(判例タイムズ407号118頁)※選挙権が20歳以上だった時代の判例 「地方自治法18条,公職選挙法9条2項によれば,日本国民たる『年令満20年以上の者』で引続き3箇月以上市町村の区域内に住所を有する者は,その属する地方公共団体の議会の議員の選挙権を有するものとされ,年令の計算については,年令計算に関する法律により,出生の日から起算し,民法143条を準用するものとされている。したがって,一般的には満20年の始期については出生の日を1日として計算し,終期は20年後の出生の日に応当する日の前日の終了(正確には午后(ごご)12時の満了)をいうのであるが,被選挙権に関する公職選挙法10条2項において,年令は選挙の『期日』により算定すると規定されており,この被選挙権に関する規定は選挙権についても類推適用されると解すべきであり,また特例政令3条によれば,『選挙人の年令については選挙の期日現在により』算定する旨定められている。これらの規定の趣旨によれば,選挙権に関する公職選挙法9条2項にいう『満20年以上』というのは…満20年に達する日が終了したことを要せず,満20年に達する日を含むと解すべく,また別の見方をすれば,前示公職選挙法9条2項の『年令満20年以上』とは,選挙権取得の始期を定めるものであり,…満20年に達する日をもって選挙権取得の始期と定めた趣旨であるとみられるから,満20年に達する前示出生応当日の前日の午後12時を含む同日午前0時以降の全部が右選挙権取得の日に当るものと解することができる」

Part2_1

2017年10月 1日 (日)

先生の指導を受けて死にたいほどつらい

 

 高校3年生です。定期テストでどうしても覚えきれない教科があったので,あせって昨日徹夜でカンニングペーパーを作り,それを試験中に見ていたのが先生に見つかってしまいました。試験終了後に先生たちから長時間の指導を受け,「まさかお前がこんなことをするとは思っていなかった」「カンニングした以上,今回のテストは全教科0点の扱いになる」「明日,親を学校に呼んで話をする」と厳しく言われ,今,絶望的な気持ちで,死んでしまいたいほどつらいです。

 

 

 絶対に,自殺はしないでください。

 そして,一人きりにならずに,

 すぐに誰かに,今のつらい気持ちを聞いてもらってください。




 今,あなたがまだ学校の中にいるなら,

 すぐに保健室に行って,養護の先生に話を聞いてもらってください。




 今,あなたが下校の途中なら,

 あなたが信頼できる大人のところに,すぐに行ってください。



 ほんとうは,自分の親に話を聞いてもらえるのが一番よいのですが,

 これから学校から連絡が入ってしまうから親には話しづらい,ということであれば,

 親以外の誰であってもかまいません。



 おじいちゃんやおばあちゃん,親戚のおじさんやおばさんのところでも,

 むかしお世話になった保育園・幼稚園,小学校,中学校の先生でも,

 塾や習い事の先生,地域の子ども会や自治会でお世話になった人でも,

 よく知っている近所のお知り合いの大人でもかまいません。




 もし,そういう大人がすぐに思い付かなければ,

 次のところに電話をかけてみてください(名乗らなくてもかまいません)。



 ●チャイルドライン(特定非営利活動法人チャイルドライン支援センター)

 0120-99-7777(フリーダイヤルです。通話料はかかりません)

 
http://www.childline.or.jp/


 ●いのちの電話(一般社団法人日本いのちの電話連盟)

 東京 03-3264-4343 (24時間つながります)

 東京以外の全国各地の電話番号は 
https://www.inochinodenwa.org/lifeline.php を見てください。


 私たち弁護士も,あなたの話に耳に傾けます。

 弁護士会の電話相談窓口は,地域によっては,弁護士とすぐに直接話をすることができます。

 相談先は,「弁護士に相談するには」の記事を見てください。





 今,死にたくなるほどつらい気持ちなのですよね。


 自分が悪いことしたからこうなってしまった,という後悔や恥ずかしさ,

 これから自分の人生がどうなってしまうのか,という不安や恐怖や絶望感,

 親に迷惑をかけてしまう,という罪悪感,

 先生が言うことへの,戸惑(とまど)いや怒り,

 いろんな思いで,とても混乱していると思います。

 徹夜で寝不足の状態であればなおのこと,落ち着いて考えるのは難しいですよね。




 でも,自殺で自分の命を失うことは,決してしないでください。

 そのような事件で実際に子どもが亡くなってしまった裁判を担当してきた私からの,心からのお願いです
【★1】




 学校の先生の指導が原因で,子どもが自殺で亡くなってしまうことが,

 これまでもたくさん繰り返されてきました
【★2】【★3】



 しかし,私たちの社会は,子どもの自殺に正面から向き合ってきませんでした。


 まちがったことをした子どもを先生が指導した,という場面だと,

 そこに体罰という暴力があれば,大きな問題になりますが,

 体罰がない指導では,子どもが亡くなっても,問題にされることが少なかったのです。




 そのような中,子どもを亡くした家族の皆さんが,

 「先生の指導が原因で子どもが亡くなるのはおかしい」,

 「真実を知りたい」,

 「同じような不幸な事件が二度と起きてほしくない」,

 そういう強い思いで,学校側と裁判で戦ってきました
【★4】



 学校側は裁判で,

 「まちがったことをした子どもに対する,適切な指導だった」

 「まさか自殺するとは思えなかったから,防ぎようがなかった」

 「自殺の原因は,子ども本人や家庭にある」

と反論し,

 「自分たちに責任はない」などと弁解します。




 自殺の事件の裁判で遺族側が勝つには,とても高いハードルがありますし,

 仮に裁判に勝ったとしても,亡くなった人の命は返ってきません。




 そういう事件の裁判を担当してきた私は,

 これ以上,先生の指導が原因で子どもたちが死んでしまうことがないようにしたいと,強く思っています。




 学校は,これからの人生を幸せに送ることができるようにするために,いろいろなことを学ぶ場所です。

 そのはずの学校で,人生そのものが奪われてしまうことは,絶対にあってはならないのです。




 もちろん,子どもが何かまちがったことをしてしまった時,

 その子がきちんとした大人になれるように,

 先生がその子を指導するのは,当たり前のことです。



 でも,その子が大人になっていくどころか,

 逆に,命を失い,人生が終わってしまうような「指導」,

 それほどまでに子どもを追い詰めるような「指導」は,

 ほんとうの指導ではありません。



 「あなたは大切な存在なんだよ」,

 「あなたのことを心配しているんだよ」,

 そういうメッセージが子どもに伝わらなければ,ほんとうの指導ではないのです
【★5】【★6】



 そして,多くの事件が,

 指導の最中や,指導の直後,子どもが一人ぼっちになった時に起きています
【★7】

 だから,指導を受けて気持ちが混乱しているその子を,

 先生がきちんと見守り,一人ぼっちにさせないことが,ほんらい,必要なのです
【★8】



 でも,あなたは,

 先生たちから「大切な存在だよ」「心配しているよ」というメッセージもなく,

 ただ追い詰められて,

 一人で苦しんでいるのですね。




 今,死にたくなるほどつらい思いをしているあなたも,とても大切な存在です
【★9】

 たとえ,まちがったことをしてしまったとしても,

 あなたが大切な存在であることは,まったく変わりありません。



 そして,あなたは一人ぼっちではありません。

 あなたの声に耳に傾け,寄り添う大人が,必ずいます。

 決して一人で思い詰めずに,

 すぐに誰かに,今のつらい気持ちを聞いてもらってください。





 同じようなケースで子どもを亡くした家族の皆さんは,今から10年前,

 先生の指導が原因で子どもが自殺で亡くなることを,「指導死」と名付けました
【★10】

 そして,

 指導死が子どもの側の問題ではなく大人の側の問題だ,ということと,

 指導死をなくしていくためにみんなで取り組む必要がある,ということを
【★11】

 ずっと社会に訴え続けています。


 そういう家族の皆さんの切実な思いが,

 今まさに死にたいほどつらいあなたに届くようにと,心から願っています。

 

 

 

【★1】 大貫隆志編著「指導死 追い詰められ,死を選んだ7人の子どもたち」(高文研)には,先生による指導が原因で亡くなった7人の子どもたちの具体的なエピソードが掲載されています。このうち,「カンニングを疑われ長時間の事情聴取(埼玉県・高校)」(120頁)のケースと,「カンニングが発覚した指導の途中で(埼玉県・高校)」のケースの裁判を,私が担当していました。
【★2】 「私が1952年から2013年までの新聞や書籍等から指導死に該当するものを拾ったところ,68件にも上りました(5件の未遂を含む)。」(武田さち子「二度と『指導死』を起こさないために-事例から学ぶ」 大貫隆志編著「指導死 追い詰められ,死を選んだ7人の子どもたち」184頁)
 同書の巻末に,指導死の事件の一覧表が掲載されています。
【★3】 2014年以降も,警察庁の統計では,「教師との人間関係」で自殺した子ども(中学生・高校生)が,2014年(平成26年)に4人,2015年(平成27年)に2人,2016年(平成28年)に2人いました。
https://www.npa.go.jp/safetylife/seianki/jisatsu/H26/H26_jisatunojoukyou_02-2.pdf
https://www.npa.go.jp/safetylife/seianki/jisatsu/H27/H27_jisatunojoukyou_02.pdf
https://www.npa.go.jp/safetylife/seianki/jisatsu/H28/H28_jisatunojokyou_02.pdf
【★4】 裁判は,学校を設置している都道府県や市区町村,私立であれば学校法人を相手にするものが多いですが,「日本スポーツ振興センター」を相手にした裁判もあります。
 学校生活の中で病気や事故にあった場合に備えて,学校や家庭が,日本スポーツ振興センターの「災害共済」という保険に入っていることがふつうです。子どもが亡くなったときには,家族に「死亡見舞金」というお金が支払われますが,それだけでなく,事故の背景・原因を分析して,そのような痛ましい事故が学校で起きないように活かされています。いじめや先生の指導などが原因で自殺で亡くなった場合にはこの死亡見舞金が支払われていますが,高校生には支払われないというおかしなルールになっています。そのおかしなルールがあることも,学校現場が指導死にきちんと向き合わないことに繋がっています(なお,最近では日本スポーツ振興センターが運用を変えて高校生の指導死にも支給されたケースがあります)。
【★5】 「生徒指導とは,一人一人の児童生徒の人格を尊重し,個性の伸長を図りながら,社会的資質や行動力を高めることを目指して行われる教育活動のことです」(文部科学省「生徒指導提要」1頁)
【★6】 「もし,教師が子どもに対して,『君のことが大切だ』『あなたのことが心配なんだ』というメッセージを常に届けることができていたら,強く叱った際にも,この言葉をきちんと伝えていたら,子どもは死なずにすんだかもしれません。あるいは,子どもの言葉や気持ちをきちんと受け止めて,子ども自身が『先生は自分の気持ちを理解してくれている』『話せばわかってもらえる』と信じることができていたら,死なずにすんだと思います」(武田さち子「二度と『指導死』を起こさないために-事例から学ぶ」 大貫隆志編著「指導死 追い詰められ,死を選んだ7人の子どもたち」203頁)
【★7】 「原因となる出来事,あるいは指導から自殺までの間が極端に短いのが,指導死の特徴です。指導と自殺との時間的経過が不明の7事例を除く61件中,指導直前3件,指導中4件,直後9件,帰宅中あるいは帰宅後14件と,計30件,約半数がその日のうちに自殺しています」(武田さち子「二度と『指導死』を起こさないために-事例から学ぶ」 大貫隆志編著「指導死 追い詰められ,死を選んだ7人の子どもたち」190頁)
【★8】 「問題行動が見つかったり,叱られた児童生徒は強いショックを受けることがあります。…安全への配慮から,『指導中に一人にしない』『目を離さない』ことは,生徒指導の基本です。帰宅させる際にも,ケアにつながる言葉がけをしてください。落ち込み度合いによっては,保護者に引き渡すまで一緒にいる,保護者に対してもあまり強く叱らないよう要請するなど,フォローすることが必要です」(武田さち子「二度と『指導死』を起こさないために-事例から学ぶ」 大貫隆志編著「指導死 追い詰められ,死を選んだ7人の子どもたち」202頁)
【★9】 憲法13条 「すべて国民は,個人として尊重される。生命,自由及び幸福追求に対する国民の権利については,公共の福祉に反しない限り,立法その他の国政の上で,最大の尊重を必要とする」
【★10】 「生徒指導をきっかけとした子どもの自殺『指導死』の定義
 1 一般に『指導』と考えられている教員の行為により,子どもが精神的あるいは肉体的に追い詰められ,自殺すること。
 2 指導方法として妥当性(だとうせい)を欠くと思われるものでも,学校で一般的に行われる行為であれば『指導』と捉(とら)える(些細(ささい)な行為による停学,連帯責任,長時間の事情聴取・事実確認など)。
 3 自殺の原因が『指導そのもの』や『指導をきっかけとした』と想定できるもの(指導から自殺までの時間が短い場合や,他の要因を見いだすことがきわめて困難なもの)。
 4 暴力を用いた『指導』が日本では少なくない。本来『暴行・傷害』と考えるべきだが,これによる自殺を広義の『指導死』と捉える場合もある。」
(大貫隆志「はじめに-指導死とは」 大貫隆志編著「指導死 追い詰められ,死を選んだ7人の子どもたち」4頁)
【★11】 2006年(平成18年)に制定された自殺対策基本法も,「自殺が個人的な問題としてのみ捉えられるべきものではなく,その背景に様々な社会的な要因がある」として,自殺対策が社会的な取組として実施されなければならないとしています(2条2項)。

Part2_1

2017年7月 1日 (土)

学校で制服を着ないといけないのが嫌だ

 

 市立の中学生です。去年まで暮らしていた海外では中学でも私服だったので,ここの学校で制服を着て通学しないといけないのが,なんとなく嫌だなと思ってます。でも,同級生たちはあまり疑問に思ってないみたいです。学校の制服って,法律で決まってることなんですか。

 

 

 

 「学校で生徒が制服を着なければいけない」とは,法律に書かれていません。

 制服のルールは,それぞれの学校が決めています。

 でも,公立の中学では,絶対に着なければいけないものではありません。





 制服が「なんとなく嫌だ」と思うあなたの気持ちは,まったく自然なものです。




 人は,他の人に迷惑をかけないかぎり,何をしてもいいという自由があります。



 自分らしい毎日を過ごすこと,自分らしい人生を送ることは,

 けっして,わがままや自分勝手ではありません。

 むしろ,法律がだいじにしていることです。

 一人ひとりが大切な存在として扱われ,幸せな毎日・人生を送れるためにこそ,法律があるのです
【★1】


 特に,

 言いたいことを言えること,

 書きたいことを書けること,

 描きたいことを描けること,

 歌いたいことを歌えること,

 踊りたいことを踊れること,

 そういうふうに自分を表現できることは,自分らしく生きることにつながります。

 そして,いろんな人のいろんな表現が混じり合うことで,

 一人ひとりが成長することができ,社会全体も豊かなものになります。



 だから,憲法は,表現の自由をとてもだいじなもの,よっぽどのことがなければ制限できないものとしています【★2】【★3】



 着たい服を着られるということ。

 それも,自分らしく生き,自分を表現するための,とてもだいじなことです。

 特に10代は,自分探しをしながら自分を形づくっていく時期ですから,

 服装や髪型を自由に選べることは,大人と同じように重要です
【★4】


 だから,

 よっぽどのことがなければ,

 自分が好きな服を着るのを禁じられたり,

 決まった服を押しつけられたりすることは,許されません。



 つまり,

 自由に服を着られるのがあたりまえで,

 逆に,自由に服が着られないのが例外的なことです。



 なので,

 「どうしても制服を着たくない」というほどの強い気持ちでなくても,

 あなたのように「なんとなく嫌だ」という気持ちも,

 法律から見ればあたりまえのことで,大切にされなければならないのです。





 例外として,服装の自由を奪うなら,

 しっかりとしたルールが必要です。

 そして,そのルールを作るときに,

 服装の自由を奪う「よっぽどの理由」があるのかを,きちんと議論しなければいけません。




 刑務所に入っている人は,服装に自由がありません。

 それは,法律というしっかりしたルールで,きちんと決められています
【★5】

 刑務所に入っている人は,犯罪をして厳しい罰を受けている立場です。

 刑務所がそういう人たちをきちんと管理できるようにする必要がある。

 それが,服装の自由を制限する「よっぽどの理由」です。



 警察官【★6】,消防隊員【★7】,海上保安官【★8】,税関職員【★9】,入管職員【★10】,自衛官【★11】などの公務員や,

 鉄道
【★12】や警備【★13】の会社の社員も,

 法律というしっかりしたルールで,制服を着ることが決められています。

 そういう特別な仕事に就いていることが,見た目ではっきりわかるようにする必要がある。

 それが,服装の自由を制限する「よっぽどの理由」です。





 しかし,学校の生徒の制服は,法律がありません。



 日本は,子どもの権利条約という世界との約束で,

 「子どもの表現の自由を制限するときは,きちんと法律を作らないといけない」

 と確認しています
【★14】

 制服については,その法律がないのです。



 法律がないのは,服装の自由を制限しなければいけない「よっぽどの理由」じたいが,ないからです。



 制服のルールは,それぞれの学校が決めています。

 学校は,みんなが安心・安全な学校生活を送るためのルール,いわゆる「校則」を作ることができます。

 でも,学校は,何でも好き勝手に校則を作れるわけではありません。

 憲法がとてもだいじにし,法律でも奪っていない生徒の服装の自由を,

 学校生活のためという名目(めいもく)で学校が簡単に奪ってしまうことは,許されません
【★15】



 「服装の乱れは心の乱れ,制服は非行を防ぐために役に立つ」とか【★16】

 「お金持ちの家の子と経済的に苦しい家の子との差が出ないように」など
【★17】

 制服が必要だという人たちは,いろんな理由を挙げます。

 でも,そのどれも,表現の自由・服装の自由というとてもだいじなものを奪うほどの「よっぽどの理由」には,まったくなっていません。




 もちろん,学校での生徒の服装がまったく自由でいいというわけでもありません。

 大人になったとき,職場(特に人と接する仕事)や結婚式・お葬式など,その場にふさわしい服装をすることが,社会の中で暮らすうえで必要になります。

 そのことを子どものうちからきちんと教え,身につけさせるのも,学校のだいじな役割です。

 だから,勉強をする場にふさわしい服装をするように学校が生徒を指導するのは,当然のことです。



 でも,だからといって,

 「ふさわしい服装」として,みんな同じ制服を着ることまで強制するのは,明らかに度が過ぎています。

 生徒一人ひとりに自分で「ふさわしい服装」を考えさせること,

 周りの人を怖がらせるような服や,パーティーで着るようなあまりに派手な服などを着てきた生徒がいたら,

 なぜそれが「ふさわしい服装」でないのかを,一人ひとりに合わせてきちんと指導すること,

 それこそが教育だと,私は思います。

 そういう丁寧な指導をせずに,みんな同じ服を着させて解決しようとするのは,教育として手抜きですし,

 「教育」という形をとりながら,実際には子どもたちを「支配」しているのと同じです。




 公立の中学校で制服を着なければいけないのかが争われた裁判が,いくつかあります。

 それらの判決で,裁判所は,こう言っています。

  「校則は,生徒の心得(こころえ)を示したもの。

   校則に書かれている制服は,むりやり着させられるものではないし,

   着なかったからといって,不利には扱われない」
【★18~20】


 実際には,あなたが私服で登校すれば,

 それが学ぶ場にふさわしい服装なのかどうか,先生から指導されるでしょう。

 でも,あなたが「ふさわしい服装だ」と自信をもってきちんと話をすれば,

 学校はそれ以上,あなたに制服を強制することは,法律上できないのです。



 もし,あなたが私服で通学することを学校にきちんと話したのに,

 指導が長時間続いたり,何度も繰り返されたり,

 制服でなければ授業を受けさせない,修学旅行に行かせない,という不利な扱いをされたら,

 すぐに弁護士に相談してください。



 ただし,

 公立ではなく私立の学校では,

 「その学校のルールをわかったうえで,自分から希望して入学した」ということが重視されるので,

 校則で決められている制服を着なければ,

 停学や退学などの懲戒処分を受けてしまうことがありえます
【★21】

 私は,「それはおかしい。いくら私立の学校でも,まちがったルールで処分されることは許されない」と思いますが,

 私立の学校の場合,制服の自由について公立の学校よりも高いハードルがあることは,知っておいてください。





 どんな人も,一人ひとりが,大切な人間です。

 工場で作られているような,どれも同じ形をした商品ではありませんし,

 着せ替え人形でもなければ,奴隷でもありません。

 教育基本法という,教育のベースとなる法律にも,

 一人ひとりを大切にすることが,はっきり書いてあります
【★22】

 それなのに,

 体型も,服のセンスも,みんなばらばらの生徒たちが,

 まったく同じ服を着させられているのは,おかしなことなのです。




 むかしは,校則で男子が丸坊主にさせられる中学校がとても多かったのですが,

 みんなが「おかしい」と声を上げたことで,

 丸坊主にさせる学校は,とても少なくなりました
【★23】

 制服についても,同じように「おかしい」と声を上げて変えていくことが大切だと,私は思っています。

 

 

 

【★1】 憲法13条 「すべて国民は,個人として尊重される。生命,自由及び幸福追求に対する国民の権利については,公共の福祉に反しない限り,立法その他の国政の上で,最大の尊重を必要とする」
【★2】 憲法21条1項 「集会,結社及び言論,出版その他一切の表現の自由は,これを保障する」
 児童の権利に関する条約(子どもの権利条約)13条1項 「児童は,表現の自由についての権利を有する。この権利には,口頭,手書き若(も)しくは印刷,芸術の形態又は自ら選択する他の方法により,国境とのかかわりなく,あらゆる種類の情報及び考えを求め,受け及び伝える自由を含む。」
【★3】 「『二重の基準』,すなわち,表現の自由を中心とする精神的自由を規制する立法の合憲性は,経済的自由を規制する立法よりも,とくに厳しい基準によって審査されなければならない」(略)「経済的自由も人間の自由と生存にとってきわめて重要な人権であるが,それに関する不当な立法は,民主政の過程が正常に機能しているかぎり,議会でこれを是正(ぜせい)することが可能であり,それがまた適当でもある。これに対して,民主政の過程を支える精神的自由は『これわ易(やす)く傷つき易い』権利であり,それが不当に制限されている場合には,国民の知る権利が十全(じゅうぜん)に保障されず,民主政の過程そのものが傷つけられているために,裁判所が積極的に介入して民主政の過程の正常な運営を回復することが必要である。精神的自由を規制する立法の合憲性を裁判所が厳格に審査しなければならないというのは,その意味である」(芦部信喜「憲法 第4版」181頁)
【★4】 「少なくとも髪型や服装などの身じまいを通じて自己の個性を実現させ人格を形成する自由は,精神的に形成期にある青少年にとって成人と同じくらい重要な自由である」(芦部信喜「憲法学Ⅱ 人権総論」404頁)
【★5】 刑事収容施設及び被収容者等の処遇に関する法律186条1項 「被留置者(ひりゅうちしゃ)には,次に掲(かか)げる物品…であって,留置施設における日常生活に必要なもの…を貸与(たいよ)し,又(また)は支給する。 一 衣類及び寝具(以下略)」
 同法187条 「留置業務管理者は,被留置者が,次に掲げる物品…について自弁(じべん)のものを使用し…たい旨(むね)の申出をした場合には,留置施設の規律及び秩序の維持その他管理運営上支障を生ずるおそれがある場合,…並びに被留置受刑者について改善更生に支障を生ずるおそれがある場合を除き,内閣府令で定めるところにより,これを許すものとする。 一 衣類(以下略)」
 同法189条 「第186条…により貸与し,又は支給する物品は,被留置者の健康を保持するに足り,かつ,国民生活の実情等を勘案(かんあん)し,被留置者としての地位に照らして,適正と認められるものでなければならない」
【★6】 警察法70条 「警察職員の…服制…に関し必要な事項は,国家公安委員会規則で定める」 ※警察官の服制に関する規則(昭和31年12月19日国家公安委員会規則第4号)
【★7】 消防組織法16条2項 「消防吏員(りいん)の…服制に関する事項は,消防庁の定める基準に従(したが)い,市町村の規則で定める」 ※消防吏員服制基準(昭和42年2月3日消防庁告示第1号)
【★8】 海上保安庁法17条3項 「海上保安官の服制は,国土交通省令で定める」 ※海上保安庁職員服制(昭和37年6月8日運輸省令第31号)
【★9】 関税法105条3項 「税関職員は,第1項の規定により職務を執行するときは,財務省令で定めるところにより,制服を着用し,かつ,その身分を示す証票を携帯し,関係者の請求があるときは,これを提示しなければならない」 ※税関職員服制(昭和44年9月22日大蔵省令第50号)
【★10】 出入国管理及び難民認定法61条の5第1項 「入国審査官及び入国警備官がその職務を執行する場合においては,法令に特別の規定がある場合のほか,制服を着用し,又はその身分を示す証票を携帯しなければならない」
 同条3項 「第1項の制服及び証票の様式は,法務省令で定める」 ※入国審査官及び入国警備官服制(平成5年6月10日法務省令第26号)
【★11】 自衛隊法33条 「自衛官,自衛官候補生,予備自衛官,即応予備自衛官,予備自衛官補,学生…,生徒その他その勤務の性質上制服を必要とする隊員の服制は,防衛省令で定める」 ※自衛官服装規則(昭和32年2月6日防衛庁訓令第4号)
【★12】 鉄道営業法第22条 「旅客及(および)公衆ニ対スル職務ヲ行フ(おこなう)鉄道係員ハ一定ノ制服ヲ著スヘシ(べし)」
【★13】 警備業法16条1項 「警備業者及び警備員は,警備業務を行うに当たっては,内閣府令で定める公務員の法令に基づいて定められた制服と,色,型式又は標章により,明確に識別することができる服装を用いなければならない」
 同条2項 「警備業者は,警備業務…を行おうとする都道府県の区域を管轄する公安委員会に,当該公安委員会の管轄区域内において警備業務を行うに当たって用いようとする服装の色,型式その他内閣府令で定める事項を記載した届出書を提出しなければならない。この場合において,当該届出書には,内閣府令で定める書類を添付しなければならない」
【★14】 児童の権利に関する条約(子どもの権利条約)13条2項 「1の権利の行使については,一定の制限を課することができる。ただし,その制限は,法律によって定められ,かつ,次の目的のために必要とされるものに限る。(a)他の者の権利又は信用の尊重 (b)国の安全,公(おおやけ)の秩序又は公衆の健康若しくは道徳の保護」
【★15】 子どもの権利条約は,学校のルールが子どもたちの人間の尊厳に適合するものであることを求めています。
 児童の権利に関する条約(子どもの権利条約)28条2項 「締約国は,学校の規律が児童の人間の尊厳に適合する方法で及びこの条約に従って運用されることを確保するためのすべての適当な措置をとる」
【★16】 私服だと非行をしやすくなる,というわけではありませんし,非行をする子は,学校が制服であっても非行をします。大人でも,立派なスーツを着ていてもとんでもない犯罪をする人もいますし,一見だらしのない服や変わった服を着ていても,人格的にとても優れている人も,多くいます。非行を防ぐこと自体はだいじですが,だからといって,そのことは生徒たちの服装の自由を奪うほどの「よっぽどの理由」にはなりません。本気で非行を防ぐのなら,統一した服装で子どもたちを管理・支配するのではなく,子どもたち一人ひとりを大切な存在として扱うこと,家や学校や地域に子どもたちの居場所があるかを注意深く見守ることのほうが必要です。
【★17】 実際には,決まった業者から高い制服を買わなければならないので,経済的に苦しい家にとっては制服のほうが負担になっています。服はお金をかけさえすれば良いというものではなく,限られた条件の中で工夫する大切さを教えることが,大人が負っている役割です。
【★18】 京都地裁昭和61年7月10日判決(判例地方自治31号50頁) 「同校の標準服の定めは厳格にそのまま実施しているわけではなく,事案ごとに弾力的に運用されていること,原告もその好みによって標準服を一部分変更して,スカート丈をやや短くし,スカートのギャザーを長くし,上衣のボタンの位置をやや変え,スカートの腰に小さいハートの印をつけたものを着用しているが,被告はこの程度の変更には問題がないと考え,原告に対して何の措置もとっていないこと,被告は標準服を着用せずに私服で登校する生徒に対しては指導をして,それを改めるように説得することにしていること,しかし,被告の同校を始め,京都市立の中学校において標準服を着用しないことを理由に,生徒に対して懲戒処分(学校教育法11条)を行った例はないし,進学や卒業を拒否した例もないことが認められる。…本件において,原告は自分の好みによって変更を加えた標準服を着用し,被告も右衣服を何ら問題とはしていないところ,衣服着用の性質からすると,原告が他の衣類ではなく,右の自己の好みにより変更を加えた標準服を着用することが,重大な損害を被(こうむ)ることにつながるとはいえない。そのうえ,京都市立の中学校では標準服不着用を理由として懲戒処分をしたり,進級卒業を拒否した例はないというのであるから,標準服を着用しないことによる不利益処分の確実性は極めて低いというべきである。これらの点を考慮すると,原告の主張する標準服着用義務については,事前の救済を認めないことを著しく不相当とする特段の事情があるとは,本件全証拠によっても認めることができない。そうすると,原告は,標準服を着用しなくともよいことの確認を認める法律上の利益を有しないから,右部分の本件訴えは不適法なものというべきである」
【★19】 東京高裁平成元年7月19日判決(判例時報1331号61頁) 「学校長が,教育目的を達成するための一助として右のような未成熟な中学校在学の生徒のために,その広い裁量のもとに,教育的観点からする教育上ないしは指導上の指針あるいはあるべき行動の基準等について生徒心得等を定めてこれを明らかにすることは,それが社会の通念に照らして著しく合理性を欠くなど不適当,不適正なものでない限り,何ら違法ではなく,また,不当なことでもない。このことは,それが,生徒の着用するいわゆる制服についての場合であっても同様である。これを本件についてみるに,…大原中校長の定めた生徒心得における制服の指定は,生徒の教育上遵守することが望ましい項目について生徒指導ないしは学習指導のための教育活動の一環として,いわばその努力目標を提示する趣旨のもとに,社会的合理性のある範囲内で定められており,その具体的な運用に当たっても,父母や生徒の意見をも十分に取り入れるよう配慮し,仮に制服を着用しない生徒があっても,これを着用することが望ましい旨指導することはあるが,制裁的な措置をとるようなことはなされていないこと,この状況は,右の,生徒心得が定められた昭和51年以後一貫して今日に至っており,通学区域内の同中学校の生徒の父母である付近の住民からの格別の苦情もなく経過してきていること,そして同中学校の在学生は前記のAをも含めて,全員が制服を着用して学校生活を平穏(へいおん)に営みつつ入学,卒業に至っていることが認められ(る)…。以上に認定の事実関係によれば,大原中の生徒心得における制服についての定めの内容は,中学校に在学すべき生徒に対する教育上の配慮に沿うものとして,社会通念に照らし合理的であるというべく,教育的見地からする学校長の裁量を超えるものではないし,あるいはまたその裁量の範囲を逸脱(いつだつ)する類のものでもないことが明らかである。更に右定めに関する運用の実態をみても規制的,強制的,拘束的色彩の薄いものであるということができる。しかも,A本人もその母も制服の着用を望んでおり,控訴人〔注:Aの父〕もその希望をいれて,同中学校の制服を注文購入したのであるから,控訴人の内心に不本意な点があったかどうかは別として,学校当局の強制で制服を購入させられたとか,校長から購入を強いられたとか,校長がAの制服着用を控訴人に強制したものとはいえない」
【★20】 最高裁第一小法廷平成8年2月22日判決(判例時報1560号72頁) 「本件の『中学校生徒心得』は,『次にかかげる心得は,大切にして守ろう。』などの前文に続けて諸規定を掲げているものであり,その中に,『男子の制服は,次のとおりとする。(別図参照)』とした上で,…校外生活に関して,『外出のときは,制服又は体操服を着用し(公共施設又は大型店舗等を除く校区内は私服でもよい。),行き先・目的・時間等を保護者に告げてから外出し,帰宅したら保護者に報告する。』との定めが置かれているが,これに違反した場合の処分等の定めは置かれていないというのである。右事実関係の下において,これらの定めは,生徒の守るべき一般的な心得を示すにとどまり,それ以上に,個々の生徒に対する具体的な権利義務を形成するなどの法的効果を生ずるものではないとした原審の判断は,首肯(しゅこう)するに足りる」
【★21】 最高裁第一小法廷平成8年7月18日判決(判例時報1599号53頁,修徳高校パーマ退学事件) 「憲法上のいわゆる自由権的基本権の保障規定は,国又は公共団体と個人との関係を規律するものであって,私人相互間の関係について当然に適用ないし類推適用されるものではないことは,当裁判所の判例…の示すところである。したがって,私立学校である修徳高校の本件校則について,それが直接憲法の右基本的保障規定に違反するかどうかを論ずる余地はない。…私立学校は,建学の精神に基づく独自の伝統ないし校風と教育方針によって教育活動を行うことを目的とし,生徒もそのような教育を受けることを希望して入学するものである。原審の適法に確定した事実によれば,(一)修徳高校は,清潔かつ質素で流行を追うことなく華美に流されない態度を保持することを教育方針とし,それを具体化するものの一つとして校則を定めている,…(三)同様に,パーマをかけることを禁止しているのも,高校生にふさわしい髪型を維持し,非行を防止するためである,というのであるから,本件校則は社会通念上不合理なものとはいえず,生徒に対してその遵守を求める本件校則は,民法1条,90条に違反するものではない」
【★22】 教育基本法2条 「教育は,その目的を実現するため,学問の自由を尊重しつつ,次に掲(かか)げる目標を達成するよう行われるものとする。 … 二 個人の価値を尊重して,…自主及(およ)び自律(じりつ)の精神を養(やしな)う…」
【★23】 「服装や身だしなみに関して,生徒に基本的人権(自己決定権)がある以上,『社会通念上の合理性』を欠き,不当に人権を制限する規定は不適切であるといわなければなりません。…『丸刈り校則』は,現在の社会通念において,中学生や高校生男子にとって,もはや合理性のある規定とは言え(ません)…。なお,昭和40年代に全国の3割程度の中学校で定められていた『丸刈り校則』は,平成22年現在では,南九州地方の30~40校に残る程度のようです(残った丸刈り校則も廃止されるべきであると考えます)」(第一東京弁護士会少年法委員会「子どものための法律相談」44頁)  

Part2_1

2017年2月 1日 (水)

妊娠・出産したら高校を退学しないとダメなの?

 

 

 高校2年生です。大学生の彼氏がいます。その彼氏の子を妊娠して,どうしようか悩んでいるうちに,中絶できる時期を過ぎてしまいました。学校から退学するように強く言われているんですが,時間がかかっても高校は卒業したいです。どうしても退学しなきゃダメなんですか?

 


 あなたがその学校で学び続けたいと思っているなら,退学する必要はありません。




 中絶ができる時期を,過ぎているのですね。

(中絶ができる時期のことなど,妊娠してどうすればよいかわからなくて悩んでいる人は,「妊娠してしまってどうすればいいかわからない」の記事も見てください。)




 妊娠したとか,子どもを産んだという理由で,

 女子生徒が高校を退学するケースを,たくさん見聞きします。



 私立だと,学校の規則に「妊娠・出産したら退学」と書いてあるかもしれません。

 公立でも,そのようなルールを文章にしている県があることが,最近問題になりました
【★1】

 また,国が作ったルールでも,

 「学校の秩序(ちつじょ)を乱(みだ)した」とか,「勉強する立場としてふさわしくないことをした」という場合には,退学させることができると書かれていて
【★2】

 妊娠や出産はこれにあたる,と考える人も,多くいます。




 学校も,親も,社会の多くの人たちも,時には生徒本人でさえも,

 「妊娠・出産したら高校をやめるのが当たり前」と考えていることが,多いようです。




 でも,それは当たり前ではありません。




 生徒を退学させることが許されるのは,

 ルール違反をした生徒に学校が注意をしても,立ち直る見込みがなくて,これ以上学校に置いておけない,というような,よっぽどのことがあるときだけです
【★3】



 10代のみなさんには,

 心と体が大人の仲間入りを始めたばかりの自分自身を大切にして,

 セックスについて焦(あせ)らないでほしい。

 私だけでなく,ほとんどの大人たちが,そう思っています。



 でも,だからといって,逆に,

 妊娠・出産した生徒を,罰として退学させるのは,

 りくつが通らない,まったくおかしなことです。



 妊娠・出産で,その生徒本人の生活は,たしかに大変にはなります。

 けれど,学校の秩序が,それで乱れるわけではありません
【★4】【★5】


 妊娠・出産と勉強を両立しようと頑張る人に向かって,

 「勉強するなら妊娠・出産してはいけない」とか,

 「妊娠・出産するなら勉強してはいけない」などと,

 他の人が口を挟(はさ)むことは,許されません。



 妊娠・出産する生徒に必要なのは,罰ではなく,

 妊娠した生徒と,お腹の中の子ども,

 出産した生徒と,生まれてきた子どもとを,

 まわりの人たちが支えていくことです。




 性は,自分の心と体を大切にし,相手の心と体を大切にすることです。

 そして,セックスは,大切なコミュニケーションの一つです。



 性についてのきちんとしたメッセージや,避妊・妊娠・出産後の生活のこと,

 それらをふだんからきちんと生徒たちに教えていない学校。

 妊娠・出産ということが起きたら,

 その生徒を支えもしないで,むしろ罰を与える学校。

 そんな学校が,当たり前であってはいけません。




 どんな人も,その能力に応じて,ひとしく教育を受ける権利がある。

 憲法は,はっきりとそう言っています
【★6】



 そして日本は,子どもの権利条約で,世界とのあいだで,こう約束しています
【★7】

 「すべての子どもが高校で学べる機会を持てるようにしよう」

 「途中で退学する子どもを,できるかぎりなくすようにしよう」


 さらに,女子差別撤廃(てっぱい)条約でも,

 「女子が途中で退学することを減らしていこう」と約束しています
【★8】

 妊娠・出産した生徒も高校で学べること,そして,退学しなくてすむことが,

 世界との約束からしても,必要なのです。




 もし,妊娠・出産で退学してしまったら,

 中学卒業の扱いですから,働こうと思っても,安定した仕事を見つけるのが,とても大変です。

 相手の男性も,とても若くて収入が低かったり,逃げてしまって生活費を払わなかったりします。

 妊娠・出産した生徒を学校から追い出すのは,

 苦しい生活・人生を送らなければらない人を,

 この社会に増やしてしまうだけです
【★9】


 学校で学ぶことは,幸せな生活と人生につながる,大事なことです。

 だからこそ,

 学校は,妊娠・出産した生徒を追い出すのではなく,

 むしろ,しっかりと守っていかなければならないのです。




 「万引きがバレて私立中学を退学するように言われてる」の記事にも書いたとおり,

 学校が生徒をむりやり退学させるのには,とても高いハードルがあります。

 だから学校は,むりやり退学させ,生徒側から訴えられて裁判で負けることのないよう,

 「あくまで生徒自身が退学を決めた」というかたちにするために,自主退学させようとします。


 でも,自主退学は,あなたが納得しなければ,断ってよいのです。

 実際,妊娠・出産を理由に退学するよう学校から言われたけれども,その後の話し合いで退学せずにすんだケースもあります
【★10】


 あなたが納得していないのに,学校が退学処分をしてしまったら,裁判で争うこともできます。

 じつは,妊娠・出産を理由とした退学処分について,裁判所が判断したことは,まだありません
【★11】【★12】

 でも,いつかきちんと,裁判所に「そういう退学処分はダメだ」とはっきり言ってもらうことが必要だと,私は思っています。


 もしあなたが,その高校で学び続けたいのに,学校が認めないようなら,すぐに弁護士に相談してください。

 相談先は,「弁護士に相談するには」の記事を見てください。

 

 

 

 

 

 

 

【★1】 岩手県教育委員会「懲戒の運用に関する基準 H25改訂」 「問題行動が初回・単独の場合」「不純異性交遊 謹慎(7日~10日)」「妊娠 退学処分」「性的暴行 退学処分」
 このことが,国会の議論でも取り上げられました(衆議院第189回国会予算委員会,平成27年3月12日。http://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_kaigiroku.nsf/html/kaigiroku/001818920150312016.htm)。
「○泉(健太)委員 …これは,ある県の県立高校の管理運営に関する規則というもので,懲戒に関する規程というのがあるんですね。懲戒の運用に関する基準,平成25年改訂,最近のものですね。…一番下の方,『性的問題行動』と書いてありまして,『不純異性交遊』『妊娠』,そして『性的暴行』と処分が書いてあるわけですね。物すごく違和感を感じたのが,妊娠が退学処分,そして性的暴行も退学処分,これは一緒かと。それは一緒とちゃうやろというふうに思うわけですね。犯罪を起こせば,それは退学の対象になろうというふうに思いますが,妊娠というのは受け手の側にもたらされる環境ですよね。さまざま,その経緯,過程に理由はあったにせよ,子供ができてしまったという事態に対して,子供の学業の継続ですとか支援をする立場の教育機関が,この妊娠ということを果たして懲戒の枠組みの中で考えるべきことなのかと。…やはり公立高校の規程からは,全て,妊娠によって懲戒をするという考え方,まずこれを一掃していただきたいというのが一つ。そして,皆さんの手が及ぶのは公立高校だけだというのではなくて,やはり私立の,全ての学校法人に対しても,懲罰的考え方ではなくて,いかにしてその子供たちを支援するのか,こういう考え方に立っていただきたいというふうに思いますが,大臣,いかがでしょうか。
○下村国務大臣 …例えば,今御指摘のように,本人に学業継続の意思がある場合においては,これは関係者で十分話し合い,母体保護の観点等も含め,教育的な指導は行い,懲戒的な対処は行わないという対応は十分考えるべきことであるというふうに私も思います。また,学業を継続することとなった生徒に対しては,学校として,養護教諭やスクールカウンセラー等も含めた十分な支援を行うことも必要であるというふうに思います。仮に,妊娠中に休学をしたり中途退学せざるを得ないような場合におきましても,再び高等学校等で学び直したいと希望する者に対しては,高等学校等就学支援金等による支援の対象となっているところでもございます。今後とも,修学の意思ある高校生が,高校での学習を終えて卒業し,社会を支える一員となれるよう,適切な学習指導,生徒指導を推進してまいりたいと思います。」
【★2】 学校教育法11条 「校長及び教員は,教育上必要があると認めるときは,文部科学大臣の定めるところにより,児童,生徒及び学生に懲戒(ちょうかい)を与えることができる。(略)」
 学校教育法施行規則26条3項 「前項の退学は,…次の各号のいずれかに該当する児童等に対して行うことができる。
 一 性行不良で改善の見込がないと認められる者
 二 学力劣等で成業の見込がないと認められる者
 三 正当の理由がなくて出席常でない者
 四 学校の秩序を乱し、その他学生又は生徒としての本分(ほんぶん)に反した者」
【★3】 「退学処分は,生徒の身分を剥奪(はくだつ)する重大な措置(そち)であるから,当該(とうがい)生徒に改善の見込みが無く,これを学外に排除(はいじょ)することが社会通念からいって教育上やむをえないと認められる場合に限(かぎ)って選択すべきものである」(東京高裁平成4年3月19日判決,判例時報1417号40頁)。そして,その判断要素として,「校則違反の態様,反省の状況,平素(へいそ)の行状(ぎょうじょう),従前(じゅうぜん)の学校の指導及び措置,並(なら)びに処分に至(いた)る経過等」の諸事情があります(最高裁平成8年7月1日判決,判例時報1599号53頁)。
【★4】 「妊娠・結婚それ自体により学校の秩序・規律が乱れるとはいえませんし,妊娠又は結婚を理由として退学処分になるとしますと,子どものいる人や既婚者は高校に入学できないことになって問題がありますので,妊娠又は結婚のみを理由とする退学処分の場合には,学校の裁量権の範囲を超えた違法なものでると判断される可能性は高いと思われます」(第一東京弁護士会少年法委員会「子どものための法律相談」309頁)
【★5】 「性行為や結婚・妊娠それ自体により規律が乱れることはないはずであり,もしそうであるなら,既婚者や子持ちは高校等の学校に入れないことになり,これは差別であるとの指摘もあります。米国の高校では,子どもを持つ生徒のための『授乳時間』『育児室』が設けられているところがあるとの報告もあります。」(板東史朗・羽成守編著「新版 学校生活の法律相談」259頁)
【★6】 憲法26条1項 「すべて国民は,法律の定めるところにより,その能力に応じて,ひとしく教育を受ける権利を有する」
【★7】 子どもの権利条約(児童の権利に関する条約)28条1項 「締約国(ていやくこく)は,教育についての児童の権利を認めるものとし,この権利を漸進的(ぜんしんてき)にかつ機会の平等を基礎として達成するため,特に,
(略)
(b) 種々の形態の中等教育(一般教育及び職業教育を含む。)の発展を奨励(しょうれい)し,すべての児童に対し,これらの中等教育が利用可能であり,かつ,これらを利用する機会が与えられるものとし,例えば,無償教育の導入,必要な場合における財政的援助の提供のような適当な措置をとる。
(略)
(e) 定期的な登校及び中途退学率の減少を奨励するための措置(そち)をとる。」
【★8】 女子差別撤廃条約(女子に対するあらゆる形態の差別の撤廃に関する条約)10条 「締約国は,教育の分野において,女子に対して男子と平等の権利を確保することを目的として,特に,男女の平等を基礎として次のことを確保することを目的として,女子に対する差別を撤廃(てっぱい)するためのすべての適当な措置をとる。
(略)
(f) 女子の中途退学率を減少させること及び早期に退学した女子のための計画を策定(さくてい)すること。
(略)
(h) 家族の健康及び福祉の確保に役立つ特定の教育的情報(家族計画に関する情報及び助言を含む。)を享受(きょうじゅ)する機会」
【★9】 認定NPO法人フローレンス代表理事の駒崎弘樹さんは,ブログ記事「2017年にはぶっ壊したい,こどもの貧困を生みだす日本の5つの仕組みとは」の中で,貧困の観点からわかりやすく重要な指摘をしています。http://www.komazaki.net/activity/2017/01/004876.html
【★10】 「我が国でも,女子高校生が結婚を理由に退学処分に処せられたが後に学校側が処分を撤回したという例がありました。女子,少年と親が真に結婚や出産を望んでいるならば,学校側と話し合って退学させないように積極的に交渉するのがよいでしょう。」(板東史朗・羽成守編著「新版 学校生活の法律相談」259頁)
【★11】 「妊娠又は結婚を理由とする退学処分の有効性が問題となった裁判例は筆者の見る限り見当たりません」(第一東京弁護士会少年法委員会「子どものための法律相談」309頁)
 第一法規の法情報総合データベースでの検索結果でも,該当判例はありませんでした(2017年2月1日現在)。
【★12】 交際相手の女性と性的な関係をもったことを理由に退学勧告を受けたことが違法だとして,元男子高校生が私立の学校に損害賠償を求めた裁判が起こされています(河北新報2016年6月21日「交際相手と性的行為『退学勧告は違法』と提訴」http://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201606/20160621_13020.html)。妊娠・出産した女子生徒の事案ではありませんが,重要なケースです。
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2016年10月 1日 (土)

義務教育ってタダのはずじゃないの?

 

 「義務教育はタダだ」って聞いたことがあるんですが,でも,給食費,副教材費,制服代,修学旅行代,卒業アルバム代とか,どうして実際にはいろいろお金がかかってるんですか?

 

 


 憲法という,日本の国のおおもとのルールには,

 「義務教育はタダです」と,はっきり書いてあります
【★1】


 そのまま素直に読めば,小学校や中学校ではお金がいっさいかからないように読めますよね。

 私立の学校は別ですが,少なくとも公立の学校ではいっさいお金がかからないように読めます。


 
ところが,教育基本法という法律では,

 「タダなのは授業料のことです」と,タダの範囲がせばめられています
【★2】



 今でこそ,小学校や中学校の教科書はタダでもらえますが,

 実は,むかしは教科書ですら,お金を出して買わなければいけなかったのです。

 「憲法に義務教育はタダだと書いてあるのに,どうして教科書を買わないといけないのか。国がお金を出すべきだ」という裁判も起きました。

 そのときの裁判所は,「憲法が言っているのは『授業料がタダ』ということ。教科書にお金がかかっても憲法違反ではない」と,訴えを認めませんでした
【★3】

 ただ,
その裁判のあいだに新しく法律が作られ,教科書もタダになりました【★4】

 1969年(昭和44年),ようやく全国の子ども全員が教科書をタダでもらえるようになったのです
【★5】



 けれど,授業料と教科書代以外のお金は,結局親が出さないといけません。


 1年間にかかる給食費は,公立の小学校は約4万3000円,中学校は約3万8000円です。

 給食費以外に1年間にかかる,副教材や修学旅行や制服などのお金も,公立の小学校では約5万2000円,中学校では約12万9000円あります
【★6】

 つまり,授業料と教科書代がタダでも,それ以外に1年間に約10万円~17万円近くもお金がかかる計算になります。

 これがとても負担になっている家庭が,たくさんあります
【★7】



 お金に余裕がない家庭のために,「就学援助(しゅうがくえんじょ)」という制度があります
【★8】

 市区町村が,給食費,副教材費,制服代,修学旅行代,卒業アルバム代などを出してくれます。

 もっとも,援助の内容は市区町村によって少しちがっています。




 「就学援助があるなら,それでいいじゃないか」と言う人もいるかもしれません。

 でも,私はそれはおかしいと思います。

 就学援助は,使う人と使わない人がいたり,内容が市区町村によってちがったりします。

 他方で,憲法は「義務教育はタダです」と言い切っています。

 お金のある・なしや,住んでいる場所によって,書き分けていません。



 義務教育は,「子どもたちのために,学ぶための時間と場所を,きちんとつくらないといけない」という,大人たちの義務です。


 家で親が子どもを育てるのに必要なお金は,当然,親が出しますね。

 それと同じように,

 
私たちの社会が用意した小学校・中学校という義務教育の場で,その学校生活に必要なものならば,

 私たちの社会が,そのお金を出さなければいけません
【★9】

 そうすることで,どの家の子も,どの地域の子も,すべてが安心してしっかりと学ぶことができ,

 そうやって子どもたちが育つことが,私たちの社会にとってもプラスになります。




 世界も,「小学校や中学校のような基本的なことを学ぶ場は,タダで通えるようにしよう」と確認し,約束しています
【★10】~【★12】

 そして,日本でさっき書いたような「教科書代がタダかどうか」が裁判で争われていた50年近くむかし,

 すでに他の国々では,学校に必要なものは全部タダにしようという動きが始まっていました
【★13】


 実は今,日本の中でも,学校にかかるお金が完全にタダなところが,いくつかあります【★14】

 でもそれは子どもの数が少ない地域で,「住む人が減るのを止めたい」という理由から,タダにしているものです。


 どこの家に生まれ育つか,そこにお金の余裕があるかどうか,それを子どもが選べないのと同じように,

 どこに暮らすか,義務教育のお金が全部タダな地域かどうかも,子どもは選ぶことはできません。



 だれであっても,どこであっても,公立の小学校・中学校では,お金の心配なく,安心してしっかり学べること。

 そういう社会を作ることが,私たち大人に課せられている義務だと,私は強く思っています。

 

 

【★1】 憲法26条2項 「すべて国民は,法律の定(さだ)めるところにより,その保護する子女(しじょ)に普通教育を受けさせる義務を負ふ(おう)。義務教育は,これを無償(むしょう)とする」
【★2】 教育基本法5条4項 「国又は地方公共団体の設置する学校における義務教育については,授業料を徴収(ちょうしゅう)しない」
【★3】 最高裁判所大法廷昭和39年2月26日判決(民集18巻2号343頁) 「憲法26条は,すべての国民に対して教育を受ける機会均等の権利を保障すると共(とも)に子女の保護者に対し子女をして最少限度の普通教育を受けさせる義務教育の制度と義務教育の無償制度を定めている。しかし,普通教育の義務制ということが,必然的にそのための子女就学に要する一切の費用を無償としなければならないものと速断することは許されない。けだし,憲法がかように保護者に子女を就学せしむべき義務を課しているのは,単に普通教育が民主国家の存立,繁栄のため必要であるという国家的要請だけによるものではなくして,それがまた子女の人格の完成に必要欠くべからざるものであるということから,親の本来有している子女を教育すべき責務を完(まっと)うせしめんとする趣旨に出たものでもあるから,義務教育に要する一切の費用は,当然に国がこれを負担しなければならないものとはいえないからである。
 憲法26条2項後段の『義務教育は,これを無償とする。』という意義は,国が義務教育を提供するにつき有償としないこと,換言(かんげん)すれば,子女の保護者に対しその子女に普通教育を受けさせるにつき,その対価を徴収(ちょうしゅう)しないことを定めたものであり,教育提供に対する対価とは授業料を意味するものと認められるから,同条項の無償とは授業料不徴収の意味と解するのが相当である。そして,かく解することは,従来一般に国または公共団体の設置にかかる学校における義務教育には月謝を無料として来た沿革(えんかく)にも合致するものである。また,教育基本法4条2項および学校教育法6条但書において,義務教育については授業料はこれを徴収しない旨規定している所以(ゆえん)も,右の憲法の趣旨を確認したものであると解(かい)することができる。それ故(ゆえ),憲法の義務教育は無償とするとの規定は,授業料のほかに,教科書,学用品その他教育に必要な一切の費用まで無償としなければならないことを定めたものと解することはできない。
 もとより,憲法はすべての国民に対しその保護する子女をして普通教育を受けさせることを義務として強制しているのであるから,国が保護者の教科書等の費用の負担についても,これをできるだけ軽減するよう配慮,努力することは望ましいところであるが,それは,国の財政等の事情を考慮て立法政策の問題として解決すべき事柄(ことがら)であつて,憲法の前記法条の規定するところではないというべきである。」
【★4】 義務教育諸学校の教科用図書の無償に関する法律(昭和37年3月31日公布,同年4月1日施行),義務教育諸学校の教科用図書の無償措置に関する法律(昭和38年12月21日公布,同日施行)
【★5】 文部科学省ウェブサイト http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/kyoukasho/gaiyou/990301m.htm
【★6】 文部科学省「平成26年度子供の学習費調査」http://www.mext.go.jp/b_menu/toukei/chousa03/gakushuuhi/kekka/k_detail/__icsFiles/afieldfile/2015/12/24/1364721_3.pdf
【★7】 本文でその後に述べている就学援助は,生活保護を受けている「要保護者(児童)」と,市区町村の教育委員会が要保護者に準ずる程度に困窮していると認める「準要保護者(児童)」が対象ですが,平成25年度の調査では要保護と準要保護児童生徒は151万4515人で,6人に1人は就学援助を受けている計算になります。
 文部科学省平成27年10月6日「『平成25年度就学援助実施状況等調査』等の結果について」http://www.mext.go.jp/b_menu/houdou/27/10/1362524.htm
【★8】 学校教育法19条 「経済的理由によって,就学困難と認められる学齢児童又は学齢生徒の保護者に対しては,市町村は,必要な援助を与えなければならない」
【★9】 「一律に強制的に徴収(ちょうしゅう)されている費目(ひもく)(教材費・給食費・制服代等)については,それが義務教育にとって必要なものならば無償の対象とすべきであり,必要がなければ強制すること自体が問題とされなければならないであろう」(日本教育法学会「教育法の現代的争点」62頁)。
【★10】 世界人権宣言26条1項 「すべて人は,教育を受ける権利を有する。教育は,少なくとも初等の及び基礎的の段階においては,無償でなければならない。初等教育は,義務的でなければならない。(略)」
【★11】 経済的,社会的及び文化的権利に関する国際規約(A規約)第13条1項 「この規約の締約国(ていやくこく)は,教育についてのすべての者の権利を認める。締約国は,教育が人格の完成及び人格の尊厳についての意識の十分な発達を指向し並(なら)びに人権及び基本的自由の尊重を強化すべきことに同意する。更(さら)に,締約国は,教育が,すべての者に対し,自由な社会に効果的に参加すること,諸国民の間及び人種的,種族的又は宗教的集団の間の理解,寛容及び友好を促進すること並びに平和の維持のための国際連合の活動を助長することを可能にすべきことに同意する」
 同条2項 「この規約の締約国は,1の権利の完全な実現を達成するため,次のことを認める。(a) 初等教育は,義務的なものとし,すべての者に対して無償のものとすること。(略)」
 14条 「この規約の締約国となる時にその本土地域又はその管轄(かんかつ)の下にある他の地域において無償の初等義務教育を確保するに至(いた)っていない各締約国は,すべての者に対する無償の義務教育の原則をその計画中に定める合理的な期間内に漸進的(ぜんしんてき)に実施するための詳細な行動計画を2年以内に作成しかつ採用することを約束する」
【★12】 児童の権利に関する条約(子どもの権利条約)28条1項 「締約国は,教育についての児童の権利を認めるものとし,この権利を漸進的にかつ機会の平等を基礎として達成するため,特に,(a)初等教育を義務的なものとし,すべての者に対して無償のものとする。(略)」
【★13】 「目を世界に向けるならば各国とも無償の範囲を拡大する傾向にある。それは教育費の私費負担の増大と教育内容の豊富化,教育活動領域の拡大に加え,権利としての教育理念の確立および,教育の機会均等の保障に伴う国家の義務という思想が,教育に浸透してきたためである。だから義務教育の無償は授業料という範囲に留まらず,教科書,学用品,給食,通学費,被服といった就学に要するすべての費用を生徒・保護者に負担させない方向に進んでいるのである。しかも非義務教育の無償化の拡大さえある現実の世界の動向を注目しなければならない」(小笠原正「憲法理念と教育法-判例評釈を中心として-113頁,昭和55年。注釈としてユネスコの「World Survey of Education II,1958」を摘示。http://unesdoc.unesco.org/images/0013/001364/136495eo.pdf
【★14】 朝日新聞2016年9月9日記事「義務教育 給食も教材費も… 『完全無償化』じわり拡大 子育て世帯の流出防ぐ」

Part2_1

2015年11月 1日 (日)

部活動の連帯責任

 

 野球部の合宿で,自分の知らない間に,他の部員4人が,たばこを万引きして,吸っていたそうです。そのことがバレて,「今年の大会の出場を辞退する」と学校が決めてしまいました。いままで大会に向けてきつい練習をがんばってきたのに,なんで事件と関係ない自分たちが,試合に出られなくなるのをガマンしないといけないんですか。

 

 

 「ガマンしなければいけない」などということはありません。

 大会に出られるよう,部活の顧問の先生や校長先生に,みんなでいっしょに話してください。




 人は,他の人に迷惑をかけないかぎり,好きなことをしていいという自由があります。

 だからこそ,自分がしたことで他の人に迷惑をかけてしまったのなら,

 その責任は,自分自身できちんと取らなければいけません。



 でも,他の人がしたことにまで,自分が責任を取らされるのは,

 よほどのことがないかぎり,あってはならないことです。




 悪いことをしたら,処罰されますね。



 他の人がやった犯罪なのに,あなたまで処罰されることがあるとしたら,

 それは,

 じつはあなたがその人とグルになっていて,犯罪のときに,あなた自身は手を汚さないやり方だっただけ,とか
【★1】

 あなたがその人をそそのかしていたなど
【★2】

 あなたがその犯罪に関(かか)わっていたときだけです。



 そういう関わりがまったくないのに,

 たとえば,単に「その人と家族だから」とか,

 「その人と同じ職場だから」とか,

 「その人と同じ学校・クラス・部活だから」とか,

 そんな理由だけで,あなたまで巻き添えになって処罰されるのは,

 ありえませんし,あってはならないことです。




 わざと,または,うっかり,やってはいけないことをして,誰かに迷惑をかけてしまったら,「損害賠償(そんがいばいしょう)」というお金を払わないといけません
【★3】


 他の人がやったことなのに,あなたまで損害賠償を払わされることがあるとしたら,

 あなたもグルだったとか,あなたがその人をそそのかしていたなどのほかに
【★4】

 あなたがその人の雇(やと)い主(ぬし)だとか
【★5】

 その人がまだ幼い子どもで,あなたがその子を育てている親だとか
【★6】

 その人の肩代わりをしてお金を払う約束をあらかじめしていたとか
【★7】

 そういう関わりがあるときだけです。



 そういう関わりがまったくないのに,

 「家族だから,同じ職場だから,同じ学校・クラス・部活だから」,

 そんな理由だけで,あなたまで巻き添えになってお金を払わされるのは,

 やはり,ありえませんし,あってはならないことです。





 法律は,一人ひとりをそれぞれ大切な存在として扱っています。

 だから,よほどのことがないかぎり,他の人のしたことで自分が責任を負うことは,ないのです。



 このことは,学校の部活動だって,同じです。

 あなたの知らない間に,他の部員たちが万引きをしてたばこを吸っていたのは,

 あなたに何の関わりも,何の責任もないことです。

 それなのに,大会のために一生懸命がんばってきたあなたが,ほかの部員のせいで大会に出られなくなることは,ありえませんし,あってはならないことです。




 ひょっとしたら,顧問の先生や,校長先生は,

 「処罰や損害賠償は,法律の話。学校での教育は,話がちがう」,

 そう言うかもしれません。



 でも,それは,明らかにまちがいです。

 学校での教育も,法律にのっとって行われています
【★8】

 そして,教育基本法という,教育の一番ベースになる法律には,

 「一人ひとりをだいじにする」というメッセージが,はっきりと書かれています
【★9】

 処罰や損害賠償という,大人の社会での責任の取り方ですら,

 「自分で自分の責任を取る,他の人のせいで責任を負わされない」のです。

 ましてや,大人になるために学んでいる学校の中なら,

 自由と責任の意味を,子どもたちがきちんと学べるよう,

 よりいっそうていねいに守られなければならないのです




 部活動は,「連帯感」を育てるためのだいじな場所だ,と言われます
【★10】

 たしかに,みんなでいっしょに力を合わせ,支え合うことで,連帯感を育てることは,だいじでしょう。

 しかし,誰かが悪いことをしてしまったときに,関係のない部員までいっしょに罰を受けても,連帯感が育つはずがありません。

 「とばっちりを受けた」という不満がくすぶったり,

 罰を避けるためにおたがいを監視し合わなければいけない窮屈(きゅうくつ)な人間関係になったりするだけです。

 それは,教育ではありません
【★11】


 万引きをした部員は,

 被害を受けたお店にきちんと謝らなければいけないし,

 万引きについて,学校の先生や,警察などから,注意・指導も受けなければいけないでしょう。

 たばこを吸うことは犯罪ではないですが,

 「たばことお酒はなんでダメなの?」の記事にも書いたように,

 自分で自分のことを大切にしているか,それをよく話し合って,その子に見つめ直させることも必要です。

 でも,合宿中のできごとだからといって,野球部まるごと大会を辞退することは,

 問題を起こした部員たちの責任の取らせ方として,いきすぎです。

 ましてや,あなたのように関係のない他の部員にまで大きなマイナスになるものなのですから,

 学校の対応は,おかしなことです。



 他の部員ともいっしょに,顧問の先生や校長先生と,大会に出られるように,よく話をしてみてください。

 もし,話がうまく進まないようなら,弁護士に相談してください。

 (相談先は,「弁護士に相談するには」の記事を見てください。)



 大人たちは,何か問題が起きると,

 「一人ひとりが大切な存在だ」ということを忘れて,

 問題を起こした人だけでなく,そのまわりの人まで,

 「同じグループだから」とひとくくりにして,厳しく処分したり,取り締まったりしてしまいがちです。

 時には,「同じグループだから」と,根拠のない偏見をもとに,してはならない差別をすることまであります。

 これは,ほんとうにおかしなことです。


 責任とはなにか,そして,一人ひとりを大切にするということがどういうことか。

 今回のことをきっかけにして,

 あなたがそれをしっかりと身につけた大人になるよう願っています。

 

 

 

 

 

【★1】 刑法60条 「2人以上共同して犯罪を実行したものは,すべて正犯(せいはん)とする」
 もし,実際に何人かで犯罪をいっしょにやっていたのなら,共犯として処罰されることは当たり前ですね。そういうのとはちがって,記事本文で書いたような,実際に犯罪を分担していない人が,それでも「グルになっていた」ということで共犯として処罰する,という考え方を,「共謀共同正犯(きょうぼうきょうどうせいはん)」と言います。共犯の範囲が拡がってしまうのは危険ではないかという批判もありますが,裁判所は,一定の条件をつけたうえで,この共謀共同正犯を認めています(最高裁大法廷昭和33年5月28日判決・刑集12巻8号1718頁など)。
【★2】 刑法61条1項 「人を教唆(きょうさ)して犯罪を実行させた者には,正犯の刑を科する」
 同法62条1項 「正犯を幇助(ほうじょ)した者は,従犯(じゅうはん)とする」
 「教唆」はそそのかしたこと,「幇助」は犯罪をさせやすくしたことです。
【★3】 民法709条 「故意(こい)又(また)は過失(かしつ)によって他人の権利又は法律上保護される権利を侵害(しんがい)した者は,これによって生じた損害を賠償する責任を負う」
【★4】 民法719条1項 「数人が共同の不法行為によって他人に損害を加えたときは,各自が連帯してその損害を賠償する責任を負う(以下略)」
 同条2項 「行為者を教唆した者及び幇助した者は,共同行為者とみなして,前項の規定を適用する」
【★5】 民法715条1項 「ある事業のために他人を使用する者は,被用者(ひようしゃ)がその事業の執行(しっこう)について第三者に加えた損害を賠償する責任を負う。(略)」
【★6】 民法712条 「未成年者は,他人に損害を加えた場合において,自己の行為の責任を弁識(べんしき)するに足りる知能を備えていなかったときは,その行為について賠償の責任を負わない」
 同法714条1項 「前2条の規定により責任無能力者がその責任を負わない場合において,その責任無能力者を監督する法定の義務を負う者は,その責任無能力者が第三者に加えた損害を賠償する責任を負う。ただし,監督義務者がその義務を怠(おこた)らなかったとき,又はその義務を怠らなくても損害が生ずべきであったときは,この限(かぎ)りでない」
 民法712条で子ども本人が責任を負うか負わないかのさかいめは,12歳前後が基準です(内田貴「民法Ⅱ」367頁)。子ども本人が責任を負わない場合,民法714条1項によってほとんど無条件に親が責任を負っていました。もっとも,最近,最高裁は,11歳の子どもが校庭でサッカーゴールに向けてボールを蹴ったところ,ボールが校庭を飛び越えてしまい,それをよけようとした高齢者が倒れてその後亡くなったケースについて,親に責任はないと判断しています(最高裁第一小法廷平成27年4月9日判決。http://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/032/085032_hanrei.pdf
【★7】 民法446条1項 「保証人は,主(しゅ)たる債務者がその債務を履行(りこう)しないときに,その履行をする責任を負う」
 同法447条1項 「保証債務は,主たる債務に関する利息,違約金,損害賠償その他その債務に従(じゅう)たるすべてのものを包含(ほうがん)する」
【★8】 学校の先生の立場から部活動を見ると,部活動の指導が,毎日遅い時間まで,土日祝日も長い時間,部活動に時間を割かれ,それなのに超過勤務手当(いわゆる残業手当)もつかず,過労死の原因にもなっているという法律上の問題があります。学校の先生は,昭和23年に超過勤務手当が支給されないこととなりました(公立の義務教育諸学校等の教育職員の給与等に関する特別措置法3条2項「教育職員については,時間外勤務手当及び休日勤務手当は,支給しない」)。ただ,学校の先生には,(1)生徒の実習に関する業務(2)学校行事に関する業務(3)教職員会議に関する業務(4)非常災害等のやむを得ない場合の業務があるため,このことを考慮して,昭和47年から,4%の教職調整額が支給されることになりました(同条1項)。しかし,この4項目の中に「部活動」は入っていませんから,結局,部活動には超過勤務手当に相当するものが出るわけではないのです(文部科学省「教職調整額の経緯等について」http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo3/031/siryo/07012219/007.htm)。それなのに,あたかも当然のように,校長から部活動の顧問をするように(=時間外労働をするように)命令されている,問題のある実態になっています(名古屋地裁平成23年6月29日判決,名古屋高裁平成24年10月26日判決)。
 学校教育の中で大切だとされている部活動なのですから,法律できちんと枠組みを作って,先生と子どもたちを守らなくてはいけません。
【★9】 教育基本法2条 「教育は,その目的を実現するため,学問の自由を尊重しつつ,次に掲(かか)げる目標を達成するよう行われるものとする。 … 二 個人の価値を尊重して,…自主及(およ)び自律(じりつ)の精神を養(やしな)う…」
【★10】 学習指導要領「第1章 総則」「第4 指導計画の作成等に当たって配慮すべき事項」(13) 「生徒の自主的,自発的な参加により行われる部活動については,スポーツや文化及び科学等に親しませ,学習意欲の向上や責任感,連帯感の涵養(かんよう)等に資(し)するものであり,学校教育の一環として,教育課程との関連が図られるよう留意すること(略)」
【★11】 すでに,今から28年前(昭和62年)に,日本教育法学会理事(当時)の坂本秀夫氏が,連帯罰について次のように指摘しています(「生活指導の法的問題」25頁)。
 「団体の誰かの違反行為があった場合,連帯責任を負わせて成員全体に罰を課することは昔から圧制者の人民支配の手段として用いられてきたし,軍隊でも日常的に行われてきた。今日学校では体育クラブなどで行われることが少なくない。例えば,クラブ部員のミスで試合に負けた時の罰としての,クラブ全員に対するハードトレーニングや静座,体罰などの,或(ある)いは野球部員の誰かが万引きや暴力事件を起こしたのでクラブとして甲子園出場を辞退させる,などという罰がある。罪を犯した生徒にとってみれば,自分のことで自分の仲間達が制裁を受けることは,仲間に対する友情が厚ければ厚いほど堪(た)え難(がた)いことであろう。何かあれば仲間に迷惑がかかるということは行動をつねに制約するに違いない。いわば友情を質(しち)にとるもので,一種の人質の論理と同じである。個人の尊厳とは全く相(あい)容(い)れないものが連帯罰の中に含まれていることに注意しよう。…懲戒は純粋に個人の責任に対してのみなされるべきである。…同じクラブの部員がどこかで万引をしたり,けんかをしたことにどうして責任を持たねばならないのか,到底(とうてい)理解できないだろう。…もちろん教育上のマイナス面も見過ごせない。個人の自覚が多少ともあるかぎり,連帯罰を受けてやり場のないふんまんを感じるのが普通である。当然仲間不信におちいるし,いつ自分に災(わざわ)いをふりかけるかわからない仲間の行動を監視するようになる。相互検索的な体勢が知らず知らずのうちに整えられるわけで,本当の民主的連帯は破壊されていく。だからこそ圧制者は連帯罰を好んで使ったのである。連帯罰が何の反省もなく日常的に使われているような集団の存在が問題となるであろう」

Part1_2

2015年10月 1日 (木)

夜間中学ってどんな中学校?

 

 

 「夜間中学」っていう学校があると聞いたんですけど,どんな中学校ですか?

 

 

 

 「夜間中学」は,15歳のときまでに義務教育を受けることができなかった人たちのための学校です。

 その名前のとおり,夕方から夜の時間帯に,授業がある中学校です
【★1】

 昼間に働いている人もいるので,遅い時間に授業がおこなわれます。




 日本は,70年前の1945年(昭和20年)に,大きな戦争に負けました。

 その戦争のあいだや,戦争が終わるころ,日本の社会は,とても混乱していました。

 その混乱の中で,家が貧しくて仕事をしなければならず,小中学校に通えなかった人が,たくさんいました。

 夜間中学は,もともと,そういう人たちが学ぶために作られた学校でした
【★2】



 戦争の混乱で学校に通えなかった人たちの中には,在日コリアン(在日韓国・朝鮮人)の人も,多くいました。

 「在日コリアンの身分証と通称」の記事にも書いたように,

 韓国併合で一方的に国籍を日本にされ,その日本にやってきたのに,

 日本の敗戦・朝鮮の独立で一方的に日本の国籍を奪(うば)われた在日コリアンの人たちは,

 「外国人だから」という理由で,日本の中で,いろんな差別を受けてきました。

 そういう厳しい生活・人生を生きてきた在日コリアンの人たちにとって,夜間中学は,今も,大切な学びの場になっています。




 夜間中学は,戦後の混乱が落ち着いたあとも,

 その時代ごとに,いろんな人々の学びの場になってきました
【★3】



 今から約40年あまり前の1972年(昭和47年),日本は,中国と仲直りをしました【★4】

 70年前に日本が戦争に負けるころ,中国から日本人が逃げ帰りましたが【★5】

 そのとき,たくさんの日本人の子どもたちが,親が死んだり,親とはぐれたりして,中国に置き去りにされてしまっていました。

 そういう人たちを,「中国残留孤児(ざんりゅうこじ)」と言います。

 日本と中国が仲直りをした後,多くの中国残留孤児の人たちが,日本に帰ってきました。

 「孤児」とは言っても,日本に帰るころには中高年になっていて,家族もできていました。

 夜間中学は,そういう人たちの学びの場になりました。




 今でこそ,障害(しょうがい)をもっている子どもも,学校で学ぶことが,当たり前になっています。

 しかし,むかしは,そうではありませんでした。

 1979年(昭和54年)まで,毎年2万人近くの障害のある子どもたちが,学校で学べなかったのです
【★6】

 夜間中学は,障害のために学校に通えなかった人たちの,学びの場でもありました。




 人種や宗教,政治的な意見などを理由に,捕まって処罰(しょばつ)されたり,命の危険にさらされたりするために,

 自分の国から,他の国に,助けを求めて逃げる人たちがいます。

 そのような人たちのことを,「難民(なんみん)」と言います。

 日本を含む多くの国々が,「難民を守ろう」と約束しています
【★7】【★8】

 そうやって命からがらこの日本にやって来た難民の人たちにとっても,夜間中学は,学びの場になっています
【★9】

 また,夜間中学は,難民のほかにも,いろんな事情で外国から日本に新しくやってきた人々が,たくさん通っています。




 「無戸籍(むこせき)」のために学校に通えなかった人も,今,夜間中学で学んでいます
【★10】

 子どもが生まれたときに,お母さんが役所に届出をできなかったため,

 戸籍が作られないままで,まるでこの社会に存在していないかのようにされ,小中学校に通えなかった人々です。

 お母さんが届出をできなかったのは,法律のしくみと裁判の手続が不十分だったからです。

 暴力をふるう夫から必死で逃げてきた女性が,離婚できないままだと,

 他の男性とのあいだに子どもをもうけても,その子は法律上,「夫の子」とされてしまいます
【★11】

 だから,暴力をふるう夫と,ふたたび関(かか)わらないといけなくなるのをおそれて,

 子どもが生まれた届出を,出せなかったのです。

 そうやって戸籍がないまま20年,30年も生きてきた人たちが,たくさんいるということ。

 そして,その中には,学校に通えなかった人がいるということ。

 それらが最近,社会に知られるようになりました
【★12】

 そういう人たちにとっても,夜間中学は,大切な場所です。




 自分の名前が書けない。

 電車の案内図の文字が読めない。

 計算ができなくて,いろんなところでお金をだまし取られる。

 基本的なことを学べないまま,この社会の中で暮らすことは,

 本当に大変で,本当につらいことです。

 人間らしく生きていくために,いちばん基本となる教育。

 その教育を受けられなかった,いろんな人々にとって,

 夜間中学は,とてもだいじな役割を果たしています。




 この夜間中学は,義務教育を受け終わっている人は,通うことができません。

 そのルールのために,問題が起きていました。

 いろんな事情で小中学校に通うことのできなかった「不登校」の子どもたちが,その後,夜間中学で学ぶことができない,という問題です
【★13】

 不登校の子には,「卒業していないことで,その子にマイナスにならないように」という配慮(はいりょ)から,実際に学校に通っていなくても,卒業証書が渡されていました。

 でも,卒業証書を受け取ってしまうと,「義務教育を終えている」ということになってしまいます。

 たまたま卒業証書をもらっていなかった不登校の人は,夜間中学に入れましたが
【★14】

 卒業証書をもらってしまった人は,入れなかったのです。

 ようやく,今年の7月,「卒業証書をもらってしまっていても,不登校だった人は,夜間中学に通える」ということになりました
【★15】

 ぜひ,小中学校に通えなかった不登校の子どもたちには,

 夜間中学を,これから学ぶ場所の選択肢の一つに入れてほしいと思っています。




 ただ,この記事を書いている今,公立の夜間中学は,全国にたった8都府県・31校しかありません
【★16】

 義務教育を受けられなかった人,夜間中学を必要としている人は,何十万人もいると言われています
【★17】

 公立の夜間中学がない地域では,ボランティアの人たちががんばって学びの場を作っていますが
【★18】

 ほんらい,生活・人生にとっていちばん基本となる教育についての,このようなだいじな取り組みは,きちんと公立の学校でやっていくべきものです
【★19】

 だから,全国に公立の夜間中学を作っていかなければいけません
【★20】【★21】

 【★この記事を書いた後の2016(平成28)年に教育機会確保法という法律が作られ,全国に夜間中学を増やしていこうということになりました。少しずつ数が増えて,2021(令和3)年4月の時点では12都府県・36校になっています。】



 この夜間中学は,国籍も,年代も,ほんとうにさまざまな人たちが集まっています。

 そして,それぞれが,学ぶことの喜びを実感しながら,卒業していきます。

 今,小中学生の
みなさんは,はたして,夜間中学で学んでいる人たちのように,学校で学ぶことの喜びを実感できているでしょうか。



 「教育を受けるのは『義務』ではなく『権利』だということを,初めて知りました」。

 私のブログの「義務教育の『義務』って?」の記事には,そういう感想がとても多く寄せられます。

 みんなが学べるように,私たちの社会が,しくみをきちんと作らなければいけない。

 それが,「義務教育」にいう「義務」です。

 その義務を,15歳を過ぎた人々に対しても,社会がきちんと果たすための場所。

 15歳を過ぎた人々の学ぶ権利が,きちんと守られる場所。

 夜間中学は,そういう中学校です。

 

 

 

 

 

【★1】 例えば,世田谷区立三宿中学校の場合,1校時が午後5時40分から午後6時20分まで,その後給食を挟んで2校時があり,4校時が終わるのは午後9時です。
【★2】 「生活困窮(こんきゅう)などの理由から,昼間に就労(しゅうろう)または家事手伝い等を余儀(よぎ)なくされた学齢生徒等を対象として,夜間において義務教育の機会を提供するため,中学校に設けられた特別の学級」(1985年(昭和60年)11月22日中曽根康弘内閣総理大臣答弁書)
 学校教育法施行令25条 「市町村の教育委員会は,当該(とうがい)市町村の設置する小学校又(また)は中学校…について次に掲(かか)げる事由(じゆう)があるときは,その旨(むね)を都道府県の教育委員会に届け出なければならない。…五 二部授業を行おうとするとき」
 夜間中学は,この「二部授業」にあたります。
【★3】 1993年(平成5年)に公開された映画「学校」(山田洋次監督)は,夜間中学がさまざまな生徒の学びの場であることが,とてもリアルにえがかれています。
【★4】 1972年9月29日「日本国政府と中華人民共和国政府の共同声明」
http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/china/nc_seimei.html
【★5】 1932年(昭和7年),日本が中国の中に「満州(まんしゅう)国」という日本の言いなりになる国を作り,そこに,多くの日本人が移り住んでいました。
【★6】 むかしの「養護学校」(今の「特別支援学校」)は,1979年(昭和54年)まで,都道府県に設置義務がありませんでした。このときまで,教育委員会が誘導して,「親から願い出た」という形にしての就学猶予(しゅうがくゆうよ)・免除の措置(そち)が多く取られていました(兼子仁「教育法新版」259頁)。
【★7】 出入国管理及び難民認定法2条1項 「…次の各号に掲(かか)げる用語の意義は,それぞれ当該(とうがい)各号に定めるところによる。 … 三の二 難民 難民の地位に関する条約…第1条の規定又は難民の地位に関する議定書第1条の規定により難民条約の適用を受ける難民をいう」
 難民の地位に関する条約1条A(2) 「…人種,宗教,国籍若(も)しくは特定の社会的集団の構成員であること又は政治的意見を理由に迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖を有(ゆう)するために,国籍国の外にいる者であって,その国籍国の保護を受けることができないもの又はそのような恐怖を有するためにその国籍国の保護を受けることを望まないもの及びこれらの事件の結果として常居所(じょうきょしょ)を有していた国の外にいる無国籍者であって,当該常居所を有していた国に帰ることができないもの又はそのような恐怖を有するために当該常居所を有していた国に帰ることを望まないもの」
【★8】 日本は,他の国とくらべて難民をなかなか保護しようとせず,批判されています。2014年(平成26年)には,5000人が日本で難民申請をしましたが,わずか11人しか難民として認められず,人道的な配慮による在留も110人しか認められていません(平成27年3月11日法務省入国管理局「平成26年における難民認定者数等について」http://www.moj.go.jp/nyuukokukanri/kouhou/nyuukokukanri03_00103.html
【★9】 例えば,裁判で難民として認定されたアフガニスタン難民のアリ・ジャンさんが夜間中学で学んだ様子は,「母さん,ぼくは生きてます」(マガジンハウス)という本に書かれています(難民認定の裁判は東京地裁平成17年11月11日判決,東京高裁平成18年9月13日判決)。
 また,北朝鮮から逃げてきた脱北者(だっぽくしゃ)リ・ハナさんも,夜間中学で学び,その後大学に入学したことを,「日本に生きる北朝鮮人 リ・ハナの一歩一歩」(アジアプレス出版部)という本に書いています。
【★10】 朝日新聞2014年9月5日「学び奪われ20歳 無戸籍社会復帰へひらがな・足し算から」
【★11】 嫡出推定(ちゃくしゅつすいてい)と言います。
 民法772条1項 「妻が婚姻(こんいん)中に懐胎(かいたい)した子は,夫の子と推定する」
 同条2項 「婚姻の成立の日から200日を経過した後又は婚姻の解消若(も)しくは取消しの日から300日以内に生まれた子は,婚姻中に懐胎したものと推定する」
【★12】 秋山千佳「戸籍のない日本人」(双葉新書),弁護士ドットコム2014年7月24日「人として生きる術を奪われた「無戸籍児」を救うには(上)〜支援団体の井戸代表に聞く」「(下)~山下敏雅弁護士に聞く」
【★10】 平成26年度の不登校の児童生徒は,小学校2万6千人,中学校9万7千人です(平成27年8月6日文部科学省「平成27年度学校基本調査(速報値)の公表について」
http://www.mext.go.jp/component/b_menu/other/__icsFiles/afieldfile/2015/08/18/1360722_01_1_1.pdf
【★13】 東京都の場合,夜間中学の入学資格は「東京都公立中学校夜間学級要覧」に書かれていますが,1981年(昭和56年)の要覧は「学齢超過者(がくれいちょうかしゃ)で中学校の教育課程の未修了者(みしゅうりょうしゃ)と対象とすることを原則とする」としていたのが,1988年(昭和63年)の要覧では「学齢を超過しており,義務教育が未修了者である者」と変わり,「原則とする」という言葉がなくなったために,形式的卒業の人の入学が難しくなりました。
【★14】 朝日新聞2008年12月6日(夕刊)「20歳の夜間中学転機 8年間ひきこもった土屋さん 大学に入学『将来は先生に』」
 墨田区立文花中学校のドキュメンタリー映画「こんばんは」(森康行監督)にも,不登校だった男子生徒が夜間中学で先生や他の生徒との交流の中で成長していく様子がえがかれています。
【★15】 2015年(平成27年)7月30日文部科学省初等中等教育局初等中等教育企画課長「義務教育修了者が中学校夜間学級への再入学を希望した場合の対応に関する考え方について(通知)」http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/shugaku/detail/1361951.htm
【★16】 2015年(平成27年)9月現在(東京)足立区立第四中学校,葛飾区立双葉中学校,墨田区立文花中学校,大田区立糀谷中学校,世田谷区立三宿中学校,荒川区立第九中学校,江戸川区立小松川第二中学校,八王子市立第五中学校(神奈川県)横浜市立蒔田中学校,川崎市立西中原中学校(千葉県)市川市立大洲中学校(京都府)京都市立洛友中学校(大阪府)大阪市立天王寺中学校,大阪市立天満中学校,大阪市立文の里中学校,大阪市立東生野中学校,岸和田市立岸城中学校,堺市立殿馬場中学校,八尾市立八尾中学校,東大阪市立長栄中学校,東大阪市立太平寺中学校,守口市立第三中学校,豊中市立第四中学校(奈良県)奈良市立春日中学校,天理市立北中学校,橿原市立畝傍中学校(兵庫県)神戸市立丸山中学校西野分校,神戸市立兵庫中学校北分校,尼崎市立成良中学校琴城分校(広島県)広島市立観音中学校,広島市立二葉中学校
【★17】 「義務教育未修了者の数は,全国夜間中学校研究会等によれば,…総合計160万5569人である。他方,内閣総理大臣答弁書によれば…約70万人程度であるとされている」(日弁連「学齢期に就学することができなかった人々の教育を受ける権利の保障に関する意見書」)
【★18】 ボランティアによる「自主夜間中学」や「識字教室」は,2014年(平成26年)5月時点の調査で,154市区町307件もあり,公立夜間中学に通っている生徒の約4倍の7422人も通っています。
 平成27年5月文部科学省「中学校夜間学級等に関する実態調査について」http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/yakan/__icsFiles/afieldfile/2015/05/18/1357927_01_2.pdf
【★19】 憲法26条1項 「すべて国民は,法律の定めるところにより,その能力に応じて,ひとしく教育を受ける権利を有する」
 教育基本法3条 「国民一人一人が,自己の人格を磨(みが)き,豊かな人生を送ることができるよう,その生涯(しょうがい)にわたって,あらゆる機会に,あらゆる場所において学習することができ,その成果を適切に生かすことのできる社会の実現が図られなければならない」
 同法4条1項 「すべて国民は,ひとしく,その能力に応じた教育を受ける機会を与えられなければならず…」
 世界人権宣言26条1項 「すべて人は,教育を受ける権利を有する。教育は,少なくとも初等及び基礎的の段階においては,無償(むしょう)でなければならない。初等教育は,義務でなければならない…」
 経済的,社会的及び文化的権利に関する国際規約(A規約)13条2項(d) 「基礎教育は,初等教育を受けなかった者又はその全課程を修了しなかった者のため,できる限り奨励(しょうれい)され又は強化されること」
 同項(e) 「すべての段階にわたる学校制度の発展を積極的に追求し,適当な奨学金制度を設立し及び教育職員の物質的な条件を不断に改善すること」
 1985年3月29日ユネスコ第4回国際成人教育会議「学習権宣言」 「学習権を承認(しょうにん)するか否かは,人類にとってこれまでにもまして重要な課題となっている。学習権とは,読み書きの権利であり,問い続け,深く考える権利であり,想像し,創造する権利であり,自分自身の世界を読み取り,歴史をつづる権利であり,あらゆる教育の手だてを得る権利であり,個人的・集団的力量(りきりょう)を発達させる権利である。…学習権は,人間の生存にとって不可欠(ふかけつ)な手段である。…学習権なくして人間的発達はあり得ない。…学習権は単なる経済発展の手段ではない。それは基本的権利の一つとしてとらえられなければならない。学習活動はあらゆる教育活動の中心に位置づけられ,人びとを,なりゆき任せの客体から,自らの歴史を作る主体に変えていくものである。…それは基本的人権の一つであり,その正当性は普遍的(ふへんてき)である。…本パリ会議は,すべての国に対し,この権利を具体化し,すべての人々が効果的にそれを行使するのに必要な条件を作るよう要望する」
 2002年1月18日国連総会採択「国連識字の10年:すべての人々に教育を」 「識字は,すべての子ども,若者及び成人が,生きていく中で直面する困難に立ち向かうことを可能とする大切な生活スキルを習得する上で決定的に重要であり,21世紀の社会及び経済に効果的に参加するために不可欠な手段である基礎教育の基本的ステップに相当する。…すべての政府に,識字への取組みの施策の策定,実施及び評価に関する持続的対話に,関連する国内の実行主体すべてを集め,国内レベルでの10年の活動の調整を先頭に立って行うよう要請する」
【★20】 2006年(平成18年)8月10日,日弁連は「学齢期に就学することができなかった人々の教育を受ける権利の保障に関する意見書」を出しました(http://www.nichibenren.or.jp/library/ja/opinion/report/data/060810.pdf)。
「 国は,戦争,貧困等のために学齢期に修学することのできなかった中高年齢者,在日韓国・朝鮮人及び中国帰国者などの多くの人々について,義務的かつ無償とされる普通教育を受ける権利を実質的に保障するため,以下の点を実施すべきである。
1 義務教育を受ける機会が実質的に得られていない者について,全国的な実態調査を速やかに行うこと。
2 上記の実態調査の結果をふまえ,
(1) 公立中学校夜間学級(いわゆる夜間中学)の設置の必要性が認められる地域について、当該地域を管轄(かんかつ)する市(特別区を含む。)町村及び都道府県に対し,その設置について指導及び助言をするとともに,必要な財政的措置を行うこと。
(2) その他の個別のニーズと地域ごとの実情に応じ,①既存(きそん)の学校の受け入れ対象者の拡大,②いわゆる自主夜間中学等を運営する民間グループに対する様々な援助(施設の提供,財政的支援等),③個人教師の派遣を実施することなど,義務教育を受ける機会を実質的に保障する施策を推進すること。」
【★21】 2014年(平成26年)7月,文部科学省が,公立夜間中学を各都道府県に最低1校設置できるよう地方自治体への財政支援を拡充する方針を固めた,と報じられています(時事通信2014年7月28日「夜間中学増設で支援拡充=全都道府県に1校へ―文科省」)。

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2014年4月 1日 (火)

義務教育の「義務」って?

 

 中学生です。授業も面白くないし,友だちもあんまりいないから,ほんとは学校に行きたくないんだけど,親が僕に,「義務教育なんだから,学校に行かなきゃいけない義務がある」って言ってます。学校に行くのって,「義務」なんですか?

 

 

 ちがいます。

 義務教育の「義務」は,「子どもが学校に行かないといけない義務」ではありません。

 
「子どもたちのために,学ぶための時間と場所を,きちんとつくらないといけない」という,大人の義務です。


 「小学校と中学校は義務教育なんだから,きちんと学校に通わないといけない」。

 ときどき聞く話ですね。

 でも,それはまちがいです。多くの人たちが,誤解しています。

 教育は,「受けることができる」ものです。

 教育を受ける「権利」がある,ということです。

 「教育を受けなければいけない」という「義務」ではありません。

 憲法や,世界のルールである条約に,教育は「権利」だと,はっきり書かれています【★1~4】


 むかし,子どもたちは,小さいころから働かなければなりませんでした。

 学ぶことができたのは,ごく一部の,豊かな家の子どもだけでした。

 今でも,世界の中には,そういう地域が残っているところもあります。



 でも,


 文字を読んだり書いたりできるようになりたい,とか,

 計算ができるようになりたい,とか,

 自然のしくみや,社会のしくみを知りたい,

 そういう気持ちは,だれもがもっている,自然な気持ちです。

 そして,そうやって学んだことは,人が人として生きていくうえで,とても大切な支えになります。


 だから,一部の子どもだけではなく,すべての子どもたちが学べるようにするために,

 私たち大人が,子どもが学ぶための時間と場所を,きちんと作らないといけない。

 それが,「義務教育」という言葉の意味です。


 国は,きちんと学校のしくみを作らないといけない。

 子どもを育てている親や,子どもを働かせている職場は,子どもをその学校にきちんと通わせないといけない。

 そういう「義務」が,大人のがわにあるのです【★5~7】


 だから,たとえば,

 子どものあなたは「学校に行きたい」と思っているのに,

 親があなたに,働かせたり,家事をさせたり,下のきょうだいの世話をさせたりして,学校に行かせない,ということは,許されません【★8】


 でも,ぎゃくに,

 子どものあなた自身が,学校にどうしても行きたくない,行けないということであれば,

 無理をして学校に行かなくても,かまいません。

 クラスでいじめがあるとか,

 先生が体罰をしてきたりひどいことを言ってくるとか,

 勉強についていけないのにほったらかしにされているとか,

 そんなふうに毎日の学校生活を安心して過ごせない,学校に居場所がないと感じているなら,

 あなた自身を守るために,学校に無理をして行かなくてよいのです。

 そして,「自分が安心して学ぶことができる場所を,きちんと作ってほしい」と,大人たちに求めることができます。


 ひょっとしたら,みなさんの中には,こんなふうに考える人もいるかもしれません。

 「いじめや体罰があるわけじゃないけど,勉強がめんどうくさくて疲れるから,学校に行きたくない。学校に行くのが義務じゃないんだったら,行かないで遊んでいたい」。


 そんなあなたが,今,学校の勉強以外で,一生懸命取り組んでいるものは,なんでしょう。

 サッカーやバスケットボールなどのスポーツでも,

 バンドやダンスでも,

 カードゲームや,オンラインゲームでも,

 そのほかどんなものでも,

 自分のレベルが上がると楽しいし,

 みんなといっしょに力を合わせることの充実感があれば,なおのこと楽しいですよね。

 だから,繰り返し練習することや,それに何時間も取り組むことや,上のレベルにチャレンジすることが,

 まったく苦痛に感じなかったり,


 多少めんどうで疲れても,続けようという気持ちに自然になったりします。


 勉強も,同じことだと思います。


 新しいことを知ったり,わかったりしたときの喜びや,

 みんなといっしょに何かに取り組むことのすばらしさを感じることができるなら,

 多少めんどうで疲れるとしても,スポーツや音楽・ダンスやゲームと同じように,勉強も,一生懸命取り組めるものになるでしょう。

 学校での勉強は,ほんらい,そういうものでなければいけません。



 私たち大人は,子どもたちに,「義務だから行きなさい」とおどしながら学校に通わせるのではなく,

 学校で学ぶことの,楽しさ,おもしろさ,大切さが,子どもたちに実感できて,

 自分から「学校に行きたい」と思えるような,そんな場所にすることが必要だと思います。


 あなたが今,「義務教育の『義務』はどんな意味だろう」と疑問をもち,インターネットで検索して,私のブログにたどりついたように,


 どんな人でも,「ものごとを知りたい,わかるようになりたい」という,人として大切な気持ちを持っています。

 子どもたちみんながもっているその気持ちにこたえられるように,

 そして,学校が,子どもたちにとって自分から「行きたい」と思えるような大切な居場所になるように,

 私たち大人が,取り組まなければいけない。

 そういう「義務」が,学校や親はもちろんのこと,この社会を支えているすべての大人たちに,あるのです。


 だから,もし,「学校に行きたくない」というあなたの気持ちを,親に受け止めてもらえていないなら,

 学校の中のあなたが信頼できる大人や,私たち弁護士に,話してみてください。

 

 

 

 

 

 

【★1】 憲法26条1項「すべて国民は,法律の定(さだ)めるところにより,その能力に応じて,ひとしく教育を受ける権利を有する。」
【★2】 むかし,この憲法26条は,「だれもが学ぶことができるよう,『お金がないから学べない』ということがないように,国などに求めることができる権利」という意味だ,と考えられていました。しかし,今は,お金のことだけではなく,人間としてもっとだいじなこと,つまり「学ぶことで人間として成長していく権利」のことだ,と,とらえられています(学習権といいます)。裁判所も同じように考えています。
 旭川学テ事件最高裁判決(最高裁大法廷昭和51年5月21日判決・刑集30巻5号615頁)「憲法中教育そのものについて直接の定めをしている規定は憲法26条であるが,…この規定の背後には,国民各自が,一個の人間として,また,一市民として,成長,発達し,自己の人格を完成,実現するために必要な学習をする固有の権利を有すること,特に,みずから学習することのできない子どもは,その学習要求を充足(じゅうそく)するための教育を自己に施(ほどこ)すことを大人一般に対して要求する権利を有するとの観念が存在していると考えられる。」
【★3】 経済的,社会的及び文化的権利に関する国際規約(A規約)13条1項「この規約の締約国(ていやくこく)は,教育についてのすべての者の権利を認める。締約国は,教育が人格の完成及び人格の尊厳(そんげん)についての意識の十分な発達を指向(しこう)し並(なら)びに人権及(およ)び基本的自由の尊重を強化すべきことに同意する。更(さら)に,締約国は,教育が,すべての者に対し,自由な社会に効果的に参加すること,諸国民の間及び人種的,種族的又は宗教的集団の間の理解,寛容(かんよう)及び友好を促進(そくしん)すること並びに平和の維持(いじ)のための国際連合の活動を助長(じょちょう)することを可能にすべきことに同意する。」
【★4】 児童の権利に関する条約(子どもの権利条約)28条1項「締約国は,教育についての児童の権利を認める…(略)」
【★5】 憲法26条2項「すべて国民は,法律の定めるところにより,その保護する子女(しじょ)に普通教育を受けさせる義務を負(お)う。義務教育は,これを無償(むしょう)とする。」
【★6】 教育基本法5条1項「国民は,その保護する子に,別に法律で定めるところにより,普通教育を受けさせる義務を負う。」
同条2項「義務教育として行われる普通教育は,各個人の有する能力を伸ばしつつ社会において自立的に生きる基礎(きそ)を培(つちか)い,また,国家及び社会の形成者として必要とされる基本的な資質(ししつ)を養(やしな)うことを目的として行われるものとする。」
同条3項「国及び地方公共団体は,義務教育の機会を保障(ほしょう)し,その水準(すいじゅん)を確保するため,適切な役割分担及び相互(そうご)の協力の下(もと),その実施に責任を負う。」
【★7】 学校教育法16条「保護者…は,次条(じじょう)に定(さだ)めるところにより,子に9年の普通教育を受けさせる義務を負う。」
同17条1項「保護者は,子の満6歳に達した日の翌日以後における最初の学年の初めから,満12歳に達した日の属する学年の終わりまで,これを小学校又は特別支援学校の小学部に就学(しゅうがく)させる義務を負う。(略)」
同条2項「保護者は,子が小学校又は特別支援学校の小学部の課程を修了した日の翌日以後における最初の学年の初めから,満15歳に達した日の属する学年の終わりまで,これを中学校,中等教育学校の前期課程又は特別支援学校の中学部に就学させる義務を負う。」
【★8】 きちんとした理由もないのに,親が子どもを学校に行かせないときには,学校から催促(さいそく)があり,それでも学校に行かせないときには,親に刑事罰が科される規定になっています。また,「教育ネグレクト」という児童虐待(じどうぎゃくたい)にもあたりうるので,場合によっては子どもが児童相談所に保護されることにもなります。
学校教育法17条3項「前2項の義務の履行(りこう)の督促(とくそく)その他これらの義務の履行に関し必要な事項(じこう)は,政令(せいれい)で定める。」
同法144条1項「第17条第1項又は第2項の義務の履行の督促を受け,なお履行しない者は,10万円以下の罰金に処(しょ)する。」
同法20条「学齢児童又は学齢生徒を使用する者は,その使用によつて,当該学齢児童又は学齢生徒が,義務教育を受けることを妨(さま)げてはならない。」
同法145条「第20条の規定に違反した者は,10万円以下の罰金に処する。」
学校教育法施行令20条「小学校,中学校…の校長は,当該学校に在学する学齢(がくれい)児童又は学齢生徒が,休業日を除(のぞ)き引き続き7日間出席せず,その他その出席状況が良好でない場合において,その出席させないことについて保護者に正当な事由がないと認められるときは,速(すみ)やかに,その旨(むね)を…市町村の教育委員会に通知しなければならない。」
同21条「市町村の教育委員会は,前条の通知を受けたときその他当該市町村に住所を有する学齢児童又は学齢生徒の保護者が法第17条第1項又は第2項に規定する義務を怠(おこた)っていると認められるときは,その保護者に対して,当該学齢児童又は学齢生徒の出席を督促(とくそく)しなければならない。」

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2013年9月 1日 (日)

先生が体罰をやめない

 

 私立の高校に通ってます。授業に遅刻したら,先生から蹴(け)りを入れられました。この前は,ピアスの穴を開けた友だちが,その先生から殴られてました。先生は,「これが俺のやり方だ,このやり方をやめるつもりはない,学校の上の人たち(校長とか)も知っている」,とか言ってます。こんなの,許されるんですか。

 

 先生が生徒を殴ったり蹴ったりすることは,法律に反する,許されないことです。


 
殴ったり蹴ったりすることは,犯罪です【★1】

 ふつうの社会の中では犯罪なのに,学校の中では先生が生徒にしても許される,というのでは,おかしなことです。

 学校教育法という法律には,「体罰をしてはいけない」と,はっきり書かれています
【★2】【★3】

 体罰が許されないのは,公立の学校でも,私立の学校でも,かわりありません。



 悪いことをしたら,「罰」を受ける。

 そういう社会のしくみじたいは,もちろん必要です。

 私も,弁護士として,犯罪をしたと疑われている人たちの弁護活動をしている中で,「罰」の持つ重みを実感しています。



 でも,刑事裁判を終えて受ける「罰」でさえ,

 その内容は,お金を払わされたり,自由を奪(うば)われたりする,というものです
【★4】

 殴られたり蹴られたりする「罰」など,ありません
【★5】

 しかも,

 罰の前に,裁判などの場で,本人の言い分をきちんと聞かなければならないし,

 どういう時にどういう罰になるか,というルールが,きちんと決まっていなければなりません
【★6】


 それに,子どもが犯罪をした場合は,大人とちがって,「罰」を与えるのではなく,その子を「保護」して「教育」しよう,というのが,法律の基本的な考え方です。



 それなのに,学校では,

 犯罪ほど悪いことをしていなくても,「罰」として,先生から殴られたり蹴られたりする。

 しかも,

 生徒の言い分をちゃんと聞かないままだったり,

 「罰」のルールも決まっていなくて,先生の気分しだいで,勝手に行われている
【★7】

 これは,まったくおかしなことです。



 教育には体罰が必要だ,という人もいます。

 でも,「暴力」で相手を押さえつけるのは,「教育」ではありません。

 暴力を使うのは,たんなる「支配」です。



 たとえ,暴力を使って相手が素直になったように見えても,それは,怖(こわ)いから,いっときだけ,表面的に,そうするだけのことです。

 表面ではしたがっていても,心の中では反発したまま。

 「ルールの意味を理解してきちんと守る」という人間には育ちません
【★8】


 また,体罰がおこなわれるときは,先生のがわも,冷静ではありません。

 そのため,体罰がエスカレートして子どもがケガで死んでしまったり,心を深く傷つけて子どもが自殺してしまったりする,そのような痛ましい事件が,これまでにいくつも起きています。



 悪いことをしてしまった子どもに必要なのは,

 体罰という暴力の痛みや恐怖ではありません。

 必要なのは,「なぜそれをしてはいけないことなのか」ということを,きちんと考えさせることです。



 ルールを守らない子どもを教育するのに,

 その大人のがわが,「体罰をしてはいけない」という国のルールを破っていては,

 まったく説得力がありません。



 体罰をやめるように,その先生や学校に,あなたたち生徒の意見を伝えていきましょう。

 でも,その伝えかたには,工夫が必要です。



 とくに,あなたが体罰を受けたきっかけについて,あなた自身がきちんと整理する必要があります。

 今回であれば,授業に遅刻したことについて,

 どうして遅刻がダメなことなのか,

 どうして今回遅刻してしまったのか,

 これからどうしたら遅刻しないようにできるか,

 それらを,あなた自身がどう頭の中で整理しているか,それをどうやって先生に伝えるかが,だいじです。

 「体罰がなくても,きちんと話し合えば,自分はわかっていけるんだ」,ということを,示していきましょう。

 体罰をする先生に向かって「先生が法律に違反している」と言っていくときには,

 自分自身のルールへの向き合い方も,自分で見つめ直すことが大切なのです。



 「あと1,2年だけガマンすればいいから,声をあげるのもめんどうくさい」,

 きっと,そう考える子どもたちも多いと思います。

 でも,体罰について,ぜひ,先生や学校と,真剣に話し合いをしてみてください。

 そのことを通して,「ルールとはいったいなんなのか」という大切なことを,自分の身をもって,学んでいくことができるはずです。

 弁護士は,そのお手伝いをします。

 一緒に作戦会議をしましょう。

 

【★1】 暴行罪(ぼうこうざい),傷害罪(しょうがいざい),過失傷害罪(かしつしょうがいざい)などにあたります。
 刑法208条 「暴行を加えた者が人を傷害するに至(いた)らなかったときは,2年以下の懲役(ちょうえき)若(も)しくは30万円以下の罰金又(また)は拘留(こうりゅう)若しくは科料(かりょう)に処(しょ)する」
 刑法204条 「人の身体を傷害した者は,15年以下の懲役又は50万円以下の罰金に処する」
 刑法209条1項 「過失により人を傷害した者は,30万円以下の罰金又は科料に処する」
 大阪高裁昭和30年5月16日判決(高裁刑集8巻4号545頁) 「基本的人権尊重を基調とし暴力を否定する日本国憲法の趣旨…に鑑(かんが)みるときは,殴打(おうだ)のような暴行行為は,たとえ教育上必要があるとする懲戒行為(ちょうかいこうい)としてでも,その理由によって犯罪の成立上違法性を阻却(そきゃく)せしめるというような法意(ほうい)であるとは,とうてい解されない」
 最高裁第1小法廷昭和33年4月3日判決(最高裁判所裁判集刑事124号31頁)  「原判決が殴打のような暴行行為はたとえ教育上必要な懲戒行為としてでも犯罪の成立上違法性を阻却せしめるとは解されないとしたこと,並びに,所論(しょろん)学校教育法11条違反行為が他面において刑罰法規に触れることあるものとしたことは,いずれも,正当として是認(ぜにん)することができる」
【★2】 学校教育法11条 「校長及(およ)び教員は,教育上必要があると認めるときは,文部科学大臣の定めるところにより,児童,生徒及び学生に懲戒を加えることができる。ただし,体罰を加えることはできない」
【★3】 このことは,「先生が生徒にどんな時であっても力をまったく使ってはいけない」,という意味ではありません。生徒が先生に暴力をふるおうとしてくるときには先生も自分の身を守るために力を使うことは認められますし,生徒が他の人に暴力をふるおうとしているときにはその人を助けるために力を使うことも認められます(正当防衛)。また,生徒が悪いことをしていないときでも,先生が自分を守るため,または,先生が他の人を守るために,どうしても必要なときには,その生徒に対して力を使うことが認められる場合もあります(緊急避難)。
 刑法36条1項 「急迫不正(きゅうはくふせい)の侵害(しんがい)に対して,自己又は他人の権利を防衛するため,やむを得ずにした行為は,罰しない」
 刑法37条1項 「自己又は他人の生命,身体,自由又は財産に対する現在の危難を避けるため,やむを得ずにした行為は,これによって生じた害が避けようとした害の程度を超えなかった場合に限り,罰しない。…」
 民法720条1項 「他人の不法行為に対し,自己又は第三者の権利又は法律上保護される利益を防衛するため,やむを得ず加害行為をした者は,損害賠償の責任を負わない。…」
 また,先生が力を使うことが体罰にあたるかどうか,判断が難しいものもあります。他の子や先生を蹴った小学2年生を,先生が追いかけてつかまえ,その子の胸元を右手でつかんで壁に押し当て,大声で「もう,すんなよ」と叱った,というケースについて,一審の熊本地裁平成19年6月15日判決は,体罰であるとして約65万円の損害賠償を認め,二審の福岡高裁平成20年2月26日判決は,体罰であるとしながらも損害賠償は約21万円に減額し,さらに,最高裁第3小法廷平成21年4月28日判決(民集63巻4号904頁)は,以下のように述べて,体罰にあたらないと判断し,損害賠償を認めませんでした。
「本件行為は,児童の身体に対する有形力の行使ではあるが,他人を蹴るという〔児童〕の一連の悪ふざけについて,これからはそのような悪ふざけをしないように〔児童〕を指導するために行われたものであり,悪ふざけの罰として〔児童〕に肉体的苦痛を与えるために行われたものではないことが明らかである。〔先生〕は,自分自身も〔児童〕による悪ふざけの対象となったことに立腹して本件行為を行っており,本件行為にやや穏当(おんとう)を欠くところがなかったとはいえないとしても,本件行為は,その目的,態様,継続時間等から判断して,教員が児童に対して行うことが許される教育的指導の範囲を逸脱(いつだつ)するものではなく,学校教育法11条ただし書にいう体罰に該当(がいとう)するものではないというべきである」
【★4】 刑法9条 「死刑,懲役,禁錮(きんこ),罰金,拘留及び科料を主刑とし,没収を付加刑とする」
【★5】 憲法36条 「公務員による拷問(ごうもん)及び残虐な刑罰は,絶対にこれを禁ずる」
【★6】 罪刑法定主義(ざいけいほうていしゅぎ)と言います。
 憲法31条 「何人(なんぴと)も,法律の定める手続きによらなければ,その生命若しくは自由を奪は(うばわ)れ,又はその他の刑罰を科せられない」
【★7】 他の国(アメリカの州)では,教育上,体罰をすることは認めるけれども,「どういう場合に,誰が,どんな方法で体罰を加えるか」,というルールが決まっている,というところもあります。
【★8】 先生から体罰を受けた小学生が,1時間後に自殺した事件で,神戸地裁姫路支部平成12年1月31日判決(判例時報1713号84頁)は,このように言っています。「学校教育法11条ただし書が体罰の禁止を規定した趣旨は,いかに懲戒の目的が正当なものであり,その必要性が高かったとしても,それが体罰としてなされた場合,その教育的効果の不測性は高く,仮に,被懲戒者の行動が一時的に改善されたように見えても,それは表面的であることが多く,かえって当該生徒に屈辱感を与え,いたずらに反発・反抗心をつのらせ,教師に対する不信感を助長することにつながるなど,人格形成に悪影響を与える恐れが高いことや,体罰は現場興奮的になされがちでありその制御が困難であることを考慮して,これを絶対的に禁止するというところにある」

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