自分の髪型を学校が突然禁止した
公立の高校生です。先日いきなり,全校集会で校長が新しい校則として,髪型は「ツーブロック禁止」だと発表しました。「高校生らしくない」っていうのが理由だっていうんですが,将来美容師になりたい自分は,全然納得いかないです。
突然ですが,「慶安(けいあん)の御触書(おふれがき)」というものを,聞いたことがありますか。
私が子どもの頃には,こう習いました。
1649(慶安2)年,江戸幕府が農民たちを支配するために出したルールで,
食べるもの,着るものなど,暮らし方を細かく縛ったもの【★1】。
そして,こういうルールが作られた背景には,
「農民たちは愚(おろ)かだ」という考え方があった,とも習いました。
私は,校則がこの御触書と似ている,と感じます。
力をもった上の人間が,一方的に,一人ひとりの生き方を縛るルールを勝手に決めてしまう。
それが,まるで同じだと思うのです。
でも,21世紀の今の日本の学校の校則が,
400年も昔の御触書と同じであってはいけません。
ルールの中身についても,そして,ルールの作られかたについてもです。
ルールの中身の問題について考えましょう。
憲法という,国のベースとなるルールは,
一人ひとりを大切な存在として扱っています【★2】。
自分で自分の生き方を決められること【★3】,
自分の思いや気持ちを表現できること【★4】,
それらは,よっぽどのことがないかぎり制限できない,とても大切なことです。
髪は,体の一部です。
そして,顔という,その人らしさに直結する部分にあります。
どういう髪型で暮らすかは,
その人のプライドやセンスに関わることで,
自分の生き方や,自分らしさの表現そのものです【★5】。
髪型は,大人だけでなく,自分自身を形づくる時期にある子どもにとっても,重要です【★6】。
裁判所も,一人ひとりに髪型の自由があるということを,はっきりと認めています【★7】【★8】。
ただし,罪を犯して刑務所にいる人には,髪型の自由がありません。
それは,刑務所という,もともと自由が制限されている特別な場所で,
受刑者を管理するために必要だからです【★9】。
でも,学校で学んでいる子どもたちに,
刑務所にいる人と同じりくつは,あてはまりません。
髪型の校則について,裁判で争われたことが,いくつかあります。
今から30年以上前,
ある公立中学校の「男子生徒は丸刈り」という校則について,
裁判所は,
教育上の効果があるかどうか疑わしい,とまで言いながら,
他方で,丸刈りの校則は,まったくおかしいとまでは言い切れない,として,
生徒側の訴えを認めませんでした【★10】。
また,ある私立高校の「パーマ禁止」という校則について,
裁判所は,
髪型は,個人の人格に直接結びつく大事なことだ,と認めながらも【★8】,
私立の学校に生徒が自分から希望して入学した,ということを重視し,
パーマ禁止の校則は,まったくおかしいとまでは言い切れない,として,
やはり生徒側の訴えを認めませんでした【★11】。
でも,これらの判決の考え方は,まちがっています。
髪型の自由は,憲法が守っている,だいじなものです。
そして,日本が世界との間で約束している「子どもの権利条約」でも,
学校のルールは,子どもたち一人ひとりの尊厳(そんげん)に合うようにしなければならない,と確認しています【★12】。
それほどだいじな髪型の自由を,安易に校則で縛ることは許されません。
校則で縛らなければいけないような,よっぽどの理由が本当にあるのか,
それをしっかり議論しなければならないのに,
「校則で縛っても,まったくおかしいとまでは言い切れない」,
つまり,「おかしいのは確かだけど,『まったくおかしい』というわけではないからOK」と,
そんな適当な考え方で認めてしまうのは,
問題に正面から向き合わず,髪型の自由をないがしろにするもので,それこそまったくおかしなことです【★13】。
ツーブロックが「高校生らしくない」という理由で禁止されたということですが,
「高校生らしい髪型」というもの自体,とてもあいまいです。
一人ひとりを大切にせずに,
学校が勝手に想像する「らしさ」を押しつけて管理するのは,
支配であって,教育ではありません。
私は,ツーブロックが「高校生らしくない」とは少しも考えませんし,
仮に「高校生らしくない」と考える大人がいたとしても,
その髪型での通学を禁止しなければならないよっぽどの理由も,見当たりません。
ルールの中身だけでなく,ルールの作られかたも問題です。
ツーブロック禁止を,ある日突然校長が発表した,ということでしたね。
私が10代の子どもたちと話をしていると,
子どもたちはみんな,
ルールは,上の人たちが勝手に決めて,自分たちを縛るもの,
そのルールを破ったら罰(ばつ)やペナルティがあるもの,と思っています。
私が,
「そうじゃないよ。ルールは,一人ひとりを守るためのもの。ルールには必ず理由があるし,おかしいルールには,『おかしい』と声を上げて,変えていっていいんだよ」
と話すと,多くの子どもたちが驚きます。
校則はみんなのためのルールなのですから,
ルールを作ったり,変えたりするときに,みんなの意見を聞く必要があるのは,当たり前のことです【★14】。
日本が世界との間で約束している「子どもの権利条約」でも,
子どもは大人にきちんと意見を聞いてもらえることを確認しています【★15】。
ところが,文部科学省は,
「条約があっても,子どもの意見を聞きすぎないように。校則は学校が決めること」
と,世界との約束ごとを小さく見せようとしています【★16】。
学校生活は数年ガマンすればいいから,声を上げないで時が過ぎるのを待つ,という人も多くいます。
でも,かけがえのない学校生活は,今の時期しかありません。
これから歩んでいく複雑な社会について学ぶ,今の時期にこそ,
ルールが何のためにあり,どうやって定められるべきかを,学んでほしいのです。
仲間の生徒たちを増やしたり,保護者を巻き込んだり,
そして私たち弁護士のサポートも上手く使ったりして【★17】,
学校と話し合い,おかしな校則を変えていきましょう。
最初に書いた「慶安の御触書」は,
私が子どもの頃には当然あったものとして学んだのですが,
研究が進んだ今では,実際には存在しなかった可能性が高い,と言われています【★18】。
学校が当然と思っているおかしな校則,御触書のようなルールが,この社会から存在しなくなるように,
みんなで一緒に声を上げていきましょう【★19~21】。
【★1】 「一,朝おきを致し,朝草を苅り,昼は田畑耕作にかゝり(かかり),晩には縄をなひ,たはらをあみ,何にてもそれぞれ之仕事,油断なく仕るべき事」「一,酒・茶を買ひ,のみ申す間敷候。妻子同前の事」「一,百姓は分別もなく,末の考へもなき者に候ゆへ,秋に成候得ば,米雑穀をばむざと妻子にもくはせ候。いつも正月,二月,三月時分之心をもち,食物を大切に仕るべく候に付,雑穀専一に候間,麦・粟(あわ)・稗(ひえ)・菜・大根,其の外何にても雑穀を作り,米を多く喰ひつぶし候はぬ様に仕るべく候。飢饉の時を存じ出し候得ば,大豆の葉,あづきの葉,ささげの葉,いもの落葉など,むざと捨て候儀はもったいなき事に候」「一,百姓は,衣類の儀,布木綿より外は帯・衣裏にも仕る間敷事」
【★2】 憲法13条「すべて国民は,個人として尊重される。生命,自由及(およ)び幸福追求(ついきゅう)に対する国民の権利については,公共の福祉(ふくし)に反(はん)しない限(かぎ)り,立法その他の国政の上で,最大の尊重を必要とする」
【★3】 自己決定権と言います。【★2】の憲法13条から導かれます。
【★4】 憲法21条1項 「集会,結社及び言論,出版その他一切の表現の自由は,これを保障する」
児童の権利に関する条約(子どもの権利条約)13条1項 「児童は,表現の自由についての権利を有する。この権利には,口頭,手書き若(も)しくは印刷,芸術の形態又は自ら選択する他の方法により,国境とのかかわりなく,あらゆる種類の情報及び考えを求め,受け及び伝える自由を含む」
【★5】 裁判例や学説の通説は,髪型の自由は,憲法21条の表現の自由の問題ではなく,憲法13条の自己決定権の問題だ,としていますが,私は髪型も重要な表現の一つだと考えます。
熊本地裁昭和60年11月13日判決・判例時報1174号48頁(熊本男子中学生丸刈り校則事件) 「原告らは,本件校則は,個人の感性,美的感覚あるいは思想の表現である髪形の自由を侵害するものであるから憲法21条に違反すると主張するが,髪形が思想等の表現であるとは特殊な場合を除き,見ることはできず,特に中学生において髪形が思想等の表現であると見られる場合は極めて希有(けう)であるから,本件校則は,憲法21条に違反しない」
「確かに,髪型も人の表現方法の一つであるとみることはできよう。…しかしながら,そこからストレートに髪型の自由を憲法21条に根拠づけることには,なお問題がある。…髪型が一定の思想・意見の伝達的意図をもっていることが立証されない限り,髪型の自由を憲法21条に直接根拠づけることは困難であろう。…今日の学説は,髪型の自由の根拠を憲法13条に求める点でほぼ一致している」(広沢明「憲法と子どもの権利条約」48頁)
「一般に髪型が特定思想の表現であるとは考えられない。髪型は言葉に比べれば表現の手段としてはあまりにも単純・固定的で,具体的な思想を表現するには役立たないのは事実だろう。しかし,だからといって個人の表現と無関係と断定するのは誤りである。…人格の表現がなければ人格と人格との関わりはないし,個性ということもありえない。髪型や服装が人格・個人の表現であることは明らかである。とくに髪型は顔の一部であり,表情の額縁である。だから髪型を制限されれば表情も制限されるということは子どもでも知っている。特に子どもの場合,言葉として表現されるような形での思想が確立していない。思想はピアジェの説を引くまでもなく,人間の行動,感情を言葉の上に移しかえたものである。思想を表現する前の段階として行動・態度・表情・服装などによる人格表現がある,ということは重要な事実である。そういう段階を表現の自由から除いて思想の表現だけを問題にすることは現実を無視した暴論である」(坂本秀夫「『校則』の研究 だれのための生徒心得か」39頁)
【★6】 「少なくとも髪型や服装などの身じまいを通じて自己の個性を実現させ人格を形成する自由は,精神的に形成期にある青少年にとって成人と同じくらい重要な自由である」(芦部信喜「憲法学Ⅱ 人権総論」404頁)
【★7】 東京地裁昭和38年7月29日判決・判例時報342号4頁 「一般に,各人が自己の頭髪の型に関して有する自由については,憲法上直接これを保障する明文の規定はないが,憲法の自由の保障に関する規定は制限列挙的なものと解すべきではなく,本来国民が享有(きょうゆう)する一般的な自由のうち,歴史的,社会的に特に重要なものについて,個別的に明文の規定を置くとともに,そこに記載されていないものについても,一般的にこれを保障する趣旨を含むと解すべきであり,そのことは憲法第13条の規定からも窺(うかが)い得るところである。従って,個人のもつ蓄髪ないし調髪の自由に対して,国家は理由なくこれを制限することは許されないものといわなければならない」
【★8】 東京地裁平成3年6月21日判決・判例時報1388号3頁(淑徳高校パーマ退学訴訟第一審判決) 「個人の髪型は,個人の自尊心あるいは美的意識と分かちがたく結びつき,特定の髪型を強制することは,身体の一部に対する直接的な干渉となり,強制される者の自尊心を傷つける恐れがあるから,髪型決定の自由が個人の人格価値に直結することは明らかであり,個人が頭髪について髪型を自由に決定しうる権利は,個人が一定の重要な私的事柄について,公権力から干渉されることなく自ら決定することができる権利の一内容として憲法13条により保障されていると解される」
【★9】 東京地裁昭和38年7月29日判決・判例時報342号4頁 「受刑者の頭髪を翦剃(せんてい)すべきものとする前記法令ないし被告の取扱いが,合理的理由に基づくものであるかどうかが問題となるが,そもそも,受刑者を刑務所に収容する目的は,犯罪に対する制裁として,身体の自由を拘束し,同時に隔離された場所において犯罪者に矯正策を講じようとすることにあるものと解されるので,受刑者の頭髪に関する自由の制限が許されるかどうかの問題も,かような受刑者の特殊の立場,地位を度外視して論ずることは許されず,前記目的を達するために合理的必要がある限り,右自由に制限を受けることはやむを得ないところといわねばならない。この見地から受刑者の頭髪を翦剃することの必要性ないし合理的根拠を検討してみると,…まず第一に考えられることは衛生の必要性があるということである。…第二の理由として考えられることは,外観上の斉一性を保つ必要があるということであ(る)…第三の理由としては,頭髪を翦剃することの方が、長髪を許し,これを調髪する場合よりも施設,器具等の上で財政上の負担がいっそう軽く受刑者の管理上もいっそう容易であるということである。…これらの理由は,いずれも受刑者の頭髪を翦剃することの十分合理的な理由,根拠となり得るものであって,かかる根拠に基づき受刑者の頭髪を翦剃したからといって,受刑者の頭髪に関する自由を理由なく制限したこととなるものでないことは明白であろう」
【★10】 熊本地裁昭和60年11月13日判決・判例時報1174号48頁(熊本男子中学生丸刈り校則事件) 「中学校長は,教育の実現のため,生徒を規律する校則を定める包括的な権能を有する…右校則の中には,教科の学習に関するものだけでなく,生徒の服装等いわば生徒のしつけに関するものも含まれる。もっとも,中学校長の有する右権能は無制限なものではありえず,中学校における教育に関連し,かつ,その内容が社会通念に照らして合理的と認められる範囲においてのみ是認されるものである…生徒の服装等について規律する校則が中学校における教育に関連して定められたもの,すなわち,教育を目的として定められたものである場合には,その内容が著しく不合理でない限り,右校則は違法とはならないというべきである。
そこでまず本件校則の制定目的についてみると…被告校長は,本件校則を教育目的で制定したものと認めうる。
次に,本件校則の内容が著しく不合理であるか否かを検討する。確かに,原告ら主張のとおり,丸刈が,現代においてもっとも中学生にふさわしい髪形であるという社会的合意があるとはいえず,スポーツをするのに最適ともいえず,又,丸刈にしたからといって清潔が保てるというわけでもなく,髪形に関する規制を一切しないこととすると当然に被告町の主張する本件校則を制定する目的となった種々の弊害が生じると言いうる合理的な根拠は乏しく,又,頭髪を規制することによって直ちに生徒の非行が防止されると断定することもできない。…本件校則の合理性については疑いを差し挾む余地のあることは否定できない。しかしながら,本件校則の定めるいわゆる丸刈は,前示認定のとおり時代の趨勢に従い特に都市部では除々に姿を消しつつあるとはいえ,今なお男子児童生徒の髪形の一つとして社会的に承認され,特に郡部においては広く行われているもので,必らずしも特異な髪形とは言えないことは公知の事実であり…本件中学において昭和40年の創立以来の慣行として行われてきた男子丸刈について昭和56年4月9日に至り初めて校則という形で定めたものであること,本件校則には,本件校則に従わない場合の措置については何らの定めもなく,かつ,被告校長らは本件校則の運用にあたり,身体的欠陥等があって長髪を許可する必要があると認められる者に対してはこれを許可し,それ以外の者が違反した場合は,校則を守るよう繰り返し指導し,あくまでも指導に応じない場合は懲戒処分として訓告の措置をとることとしており,たとえ指導に従わなかったとしてもバリカン等で強制的に丸刈にしてしまうとか,内申書の記載や学級委員の任命留保あるいはクラブ活動参加の制限といった措置を予定していないこと、被告中学の教職員会議においても男子丸刈を維持していくことが確認されていることが認められ,…現に唯一人の校則違反者である原告に対しても処分はもとより直接の指導すら行われていないことが認められる。右に認定した丸刈の社会的許容性や本件校則の運用に照らすと,丸刈を定めた本件校則の内容が著しく不合理であると断定することはできないというべきである。
以上認定したところによれば、本件校則はその教育上の効果については多分に疑問の余地があるというべきであるが,著しく不合理であることが明らかであると断ずることはできないから,被告校長が本件校則を制定・公布したこと自体違法とは言えない」
【★11】 東京地裁平成3年6月21日判決・判例時報1388号3頁(淑徳高校パーマ退学訴訟第一審判決) 「右校則は特定の髪型を強制するものではない点で制約の度合いは低いといえるのであり,また,原告が修徳高校に入学する際,パーマが禁止されていることを知っていたことを併せ考えるならば,右髪型決定の自由の重要性を考慮しても,右校則は,髪型決定の自由を不当に制限するものとはいえない。右のとおり,一方,在学関係設定の目的の実現のために右校則を制定する必要性を否定できず,他方で,右校則は髪型決定の自由を不当に制限するものとまではいえないのであるから,これを無効ということはできない」
最高裁第一小法廷平成8年7月18日判決・判例時報1176号1頁(淑徳高校パーマ退学訴訟上告審判決) 「憲法上のいわゆる自由権的基本権の保障規定は,国又は公共団体と個人との関係を規律するものであって,私人相互間の関係について当然に適用ないし類推適用されるものではないことは,当裁判所の判例…の示すところである。したがって,私立学校である修徳高校の本件校則について,それが直接憲法の右基本的保障規定に違反するかどうかを論ずる余地はない。所論違憲の主張は採用することができない。
私立学校は,建学の精神に基づく独自の伝統ないし校風と教育方針によって教育方針によって教育活動を行うことを目的とし,生徒もそのような教育を受けることを希望して入学するものである。原審の適法に確定した事実によれば,(一)修徳高校は,清潔かつ質素で流行を追うことなく華美に流されない態度を保持することを教育方針とし,それを具体化するものの一つとして校則を定めている,…(三)…パーマをかけることを禁止しているのも,高校生にふさわしい髪型を維持し,非行を防止するためである,というのであるから,本件校則は社会通念上不合理なものとはいえず,生徒に対してその遵守を求める本件校則は,民法1条,90条に違反するものではない」
【★12】 児童の権利に関する条約(子どもの権利条約)28条2項 「締約国は,学校の規律が児童の人間の尊厳に適合する方法で及びこの条約に従って運用されることを確保するためのすべての適当な措置をとる」
【★13】 「実質的に校則の内容が合理性を欠いていても,『著しく不合理』な程度に達していなければ違法にならないとしている【★10】の結論には疑問が残る。なぜならそれは,その前段部分で『(中学校長の校則制定権能は)その内容が社会通念に照らして合理的と認められる範囲においてのみ是認される』と判示されていることと整合性を欠いていると言えるほか,実質的に考えても,生徒,教師および親の間の信頼関係の上に成り立つべき教育現場において,『(著しく不合理でなければ)合理性を欠く校則も適法である』というのでは納得がいかないからである。…(【★11】の事案について)現在の感覚からすれば,パーマは髪を整える方法の一つであって,パーマと『華美』や『非行』を直接結びつける考え方自体には違和感を禁じ得ない。パーマはかけないようにといういわば学校側の好みを表明すること自体まではよいとしても,これに違反した場合を退学処分や自主退学勧告といった学習権を侵害するような制裁にかからせることには,大きな問題があると言わざるをえない。なぜなら,髪型を選択する自由は憲法13条で保障される基本権であり,学校生活における他者の基本権との衝突を調整するといった限られた場面でのみ,制約が許されるものと解されるからである」(浪本勝年他「教育判例ガイド」69頁)
【★14】 「在学契約説:学校が国公立であると私立であるとを問わず,在学関係は,学校設置者と生徒ないしその保護者とのあいだで,生徒が学校において教育を受けることを契約することによって成立する契約関係ととらえるもの。教育法学会の多数説である。…在学契約説では,学校・教師と生徒との関係は,憲法で保障されている子どもの成長発達と学習権を保障すべき法律関係であって,生徒や親は学校・教師に従属するものではなく対等な権利義務関係に立つことになり,校則は,学校・教師と生徒・親との契約内容を示すものとなる。したがって,校則の内容について両契約当事者の合意が不可欠であるということになり,校則を制定・改変するにあたり,生徒・親の参加は当然のことである。…校則は在学契約の内容の一つであるという立場では,権利の主体である契約当事者の一方の意思が反映されない契約はそもそもあり得ない。とすれば,現行の校則の実態の大部分は,学校・教師から生徒・親に提示された希望内容を明文化したものにすぎないと評価される」(日本弁護士連合会子どもの権利委員会「子どもの権利ガイドブック第2版」84頁)
【★15】 児童の権利に関する条約(子どもの権利条約)12条1項 「締約国は,自己の意見を形成する能力のある児童がその児童に影響を及ぼすすべての事項について自由に自己の意見を表明する権利を確保する。この場合において,児童の意見は,その児童の年齢及び成熟度に従って相応(そうおう)に考慮されるものとする」
【★16】 文部事務次官平成6年5月20日文初高第149号「児童の権利に関する条約」について(通知)
「4.本条約第12条から第16条までの規定において,意見を表明する権利,表現の自由についての権利等の権利について定められているが,もとより学校においては,その教育目的を達成するために必要な合理的範囲内で児童生徒等に対し,指導や指示を行い,また校則を定めることができるものであること。校則は,児童生徒等が健全な学校生活を営みよりよく成長発達していくための一定のきまりであり,これは学校の責任と判断において決定されるべきものであること。なお,校則は,日々の教育指導に関わるものであり,児童生徒等の実態,保護者の考え方,地域の実情等を踏まえ,より適切なものとなるよう引き続き配慮すること。
5.本条約第12条1の意見を表明する権利については,表明された児童の意見がその年齢や成熟の度合いによって相応に考慮されるべきという理念を一般的に定めたものであり,必ず反映されるということまでをも求めているものではないこと。なお,学校においては,児童生徒等の発達段階に応じ,児童生徒等の実態を十分把握し,一層きめ細かな適切な教育指導に留意すること」
【★17】 弁護士からアドバイスを受けたり,弁護士が学校と話し合いをする方法のほうかに,弁護士会に対する「人権救済申立て」という手続があります。これまでも,各地の弁護士会や日弁連が,この手続で弁護士会から学校や教育委員会に髪型の規制を廃止するよう警告や要望などを出しています。
【★18】 兼子明「所謂『慶安御触書』の教材化に関する一考察-史料的信憑性に対する疑義をふまえて-」
【★19】 「『ブラック校則』の話題は,大阪府立の高校に在籍していた女子高校生の訴えから始まった。たった『一人』の若者による問題提起である。それがいま,本書の出版を含め多方面に影響を与えている。その背後には,きっと声をあげながらも,かき消されていったケースがたくさんあることだろう。そして,声さえあげられずに耐え忍んだというケースは,さらに多いことだろう。それを考えると,『ブラック校則』を見直す機運が高まっているいまこそ,私たちは知恵を出し合い,声を上げていかなければならない。校則の未来は,私たちにかかっている」(荻上チキ・内田良「ブラック校則 理不尽な苦しみの現実」259頁)
【★20】 同志社大学教授・大島佳代子氏「校則を見直すには,多様な意見が反映される場が必要です。教育委員会が音頭を取り,教師や生徒,保護者のみならず,弁護士らが参加して校則の見直しを考える機会を設けたり,大学生と高校生が協働し,夏休みなどに校則を語るプロジェクトを催したりすることも一案です。子どもたちも,校則について検討する過程で,社会規範とは何かを考え,おかしなことに黙っていてはいけないのだと実感できるはずです」(朝日新聞2018年9月4日記事)
首都大学東京特任教授・宮下与兵衛氏「私は今から20年前,長野県立辰野高校の教員だったときに,学校運営を教職員,保護者,生徒が対等に話し合って決める『三者協議会』という仕組みを作りました。校則も3者で話会い,合意できたら変わります。…ここでは子どもたちは主権者です。自分たちが校則の見直しにかかわれば,必ず責任感も生まれます。三者協議会の仕組みは,学校運営にとってメリットが大きいのに,なかなか日本では広がりません」(朝日新聞2018年9月4日記事)
【★21】 朝日新聞2019年12月2日夕刊記事「校則 誰が決める? 立ち上がる中高生 ネットで賛同募る/学校と話し合い/教員・保護者と『三者協議会』」