休日のデモ参加に学校への届出が必要?
私立高に通っています。社会のこと,政治のことに関心をもっていて,休日に高校生デモに参加しています。ところが,学校から,「今後は,校外のデモに参加するときは事前に学校に届出をするように,校則を変える」と話がありました。届出をしないでデモに参加すると,どうなりますか。
「校則に違反した」という理由で,指導や注意がされたり,懲戒処分がされたりするかもしれません。
でも,「校外のデモに行くのに届出が必要」という校則自体が,おかしなことです。
校則を変えないよう,先生や生徒みんなで話し合い,決めることが必要です。
社会や政治のことにまったく関心を持たない大人たちが多い中で,
高校生のときからきちんと関心を持ち,しっかりと声を上げているのは,とても素晴らしいことだと思います。
1969年(昭和44年),国の役所は,高校生が政治的な活動をすることを,厳しく制限しました【★1】。
そのころ,各地の高校生たちが,さまざまな学校問題や社会問題について,運動をしていました【★2】。
しかし,このころの高校生の中には,
授業や文化祭,卒業式を妨害したり,
学校にヘルメット・こん棒姿で集まったり,
校長室などをロッカーや机でバリケード封鎖したり,
先生たちを閉じ込め,暴力をふるったり,
火炎瓶(かえんびん)を投げるなど,
とても暴力的なやり方をする生徒たちもいて,社会的に大きな問題になっていました【★3】。
そして,その暴力的なやり方は,学校の外の人たちからの影響を,強く受けていました。
文部省(今の文部科学省)が,学校内だけでなく,学校外の政治活動まで厳しく制限したのには,そういった背景がありました。
しかし,それならば,違法なものや暴力的なものだけを禁止すればよかったはずです。
子どもであっても,
自分の意見を言う自由,社会に伝える自由や,
いろんな人たちと集まって,いっしょに活動する自由があります【★4】。
そういう自由は,本人にとってだけでなく,社会全体にとっても,だいじなものです。
そして,教育基本法や学校教育法という,「教育」についての法律には,
「子どもたちが,この社会のメンバーとして積極的にかかわっていくことができるように,育てていこう」と,はっきり書いてあります【★5】。
それなのに,文部省は,政治にかかわることのほとんどを,広く制限してきました。
それが,昨年の2015年(平成27年)まで46年もの長い間,ずっと続いてきたのです。
教育基本法には,「学校は政治的な活動をしてはいけない」と書かれています【★6】。
文部省は,それを理由に,「だから高校生の政治的な活動を制限してあたりまえ」としてきました【★7】。
しかし,教育基本法が言っているのは,例えば,学校や先生が自分の政治的主張を生徒たちに押し付けたりしてはいけない,ということです。
一人ひとりの生徒が自分の意見をもって動くことまで,禁止していません【★8】。
文部省は,「政治的な活動で勉強がおろそかになる。だから高校生の政治的な活動を制限していいんだ」,とも言っていました【★9】。
しかし,「勉強がおろそかになるから」と,恋愛や習い事やゲームをわざわざ役所は制限しませんし,しないのが当然です。
なのに,政治的な活動だけ制限をするのは,おかしなことです。
それに,勉強と政治的な活動をきちんと両立させている人も,今はたくさんいます。
文部省は,「判断力や経験がじゅうぶんではないから,特定の政治的な意見に影響されてしまう。だから高校生の政治的な活動を制限していいんだ」,とも言っていました【★10】。
でも,判断力や経験がじゅうぶんでないからこそ,きちんとした政治的な活動とはどういうものなのかを,子どものうちから学べることが必要です。
政治というのは,自分とちがう意見の人たちともしっかり議論をして,ものごとをみんなでよりよい内容で決めていくものです。
それなのに,自分の意見を言うこともできず,他の人の話を聞くこともできず,
議論をして決めていくやり方を,子どもの時にきちんと身につけられなければ,
むしろ,「特定の政治的意見」にこだわる,困った大人ができあがってしまいます。
違法なものや暴力的なものを禁止したり,
安心・安全な学校生活のために一定のルールを作ったりすることは,
たしかに必要です。
でも,高校生の政治的な活動のほとんどを,広く制限してしまうことは,
どう考えても,行き過ぎで,おかしなことだったのです。
それでも,「未成年のうちは選挙権がない」ということが一番の理由となって,
子どもたちの政治的な活動は,ずっと制限されてきました【★11】。
文部省は,「社会は,未成年者が政治的活動を行うことを期待していないし,むしろ行わないよう要請している」,とまで言っていたのです。
裁判所も,「子どもの政治的な運動を学校が制限するのはおかしい」と言った判決は,ほんの少しあるだけで【★12】,
その他の多くの事件では,裁判所は,文部省とほとんど変わらない判断をしてきました【★13】。
最近,法律が変わり,選挙で投票できる年齢が20歳から18歳に引き下げられました【★14】。
「選挙権がある」ということは,「選挙運動もできるようになる」ということです【★15】。
「みんなにこの候補者や政党のことを知ってもらいたい,投票してほしい」と活動することができるようになります。
(選挙権のない子どもも選挙運動が認められるべきなのですが,法律では禁止されています。くわしくは「子どもの選挙運動が犯罪なのが納得いかない」の記事を読んでください。)
誰が当選するかが激しく争われる「選挙運動」でさえ,できるようになるのですから,
もっと幅広く社会のことについて主張したり行動したりする「政治的活動」も,当然,認められなくてはなりません【★16】。
だから,選挙権の年齢が引き下げられたのに合わせて,
文部科学省は,2015年(平成27年)に,政治的な活動について,いままでの制限をゆるめました【★17】。
放課後や休日の政治的な活動は,
これまでは,「望ましくないとして生徒を指導する」と,基本的にダメだったのが【★18】,
これからは,「家庭の理解の下(もと),生徒が判断し行うもの」で,基本的にOKというふうに,文部科学省の考え方が変わったのです【★19】。
ところが,今年に入って,文部科学省は,
「生徒が放課後や休日にデモや集会に参加する場合に,学校に事前に届出をさせることにしてもよい」,
と言い出しました【★20】。
「届出制」は,「許可制」とは違います。
届出制は,「事前に学校に言っておく」ということです。
許可制のように,学校がそのデモや集会の参加を許可する・許可しないの判断をすることまではできません。
「だったらかまわないんじゃないか」,そう考える人も,ひょっとしたらいるかもしれません。
しかし,それはものごとの考え方が逆さまです。
「届け出れば,デモや集会に参加できるからいい」,のではなく,
「届け出なければ,デモや集会に参加できない(してはいけない)」ということが問題なのです。
本来自由にできるはずのものに制限がある,ということには変わりありません。
それも,46年間ダメだとしてきたものをOKする方向に変えたばかりなのに,このような縛(しば)りを作るのは,おかしなことです。
もし,届出をしないでデモに参加したら,
校則に違反したという理由で,注意や指導がされたり,退学させられたりするかもしれません。
そのとき,弁護士に相談して,裁判をして争うということもありえます。
でも,あなたの学校は,私立の高校なのですよね。
最高裁は,ある私立の大学のケースで,
「私立の学校では,学校の外での政治的な活動にかなり広い制限をしても,不合理でない」,と言っています【★21】。
その最高裁の判断はおかしい,変えなければいけない,と私は思いますし,
学校の処分が正しいかどうかは,個別のケースごとにいろんな事情をもとにして判断されますから,
生徒側が裁判で勝つことが絶対にありえないわけではありません。
でも,この最高裁のハードルを裁判で乗り越えるのはそんなに簡単ではない,ということは,知っておいてください。
私は,校則を変えてデモ参加を届出制にすることについて,
裁判で争うよりも,
先生たちや,生徒みんなで議論していくことのほうが,何倍もだいじだと思います。
政治的な活動をする自由を,憲法はとても大切にしています。
本来,よっぽどのことがないかぎり,それを奪ったり,制限したりすることはできないものです。
だから,本当に子どもを守るためという理由で,その大切な自由を制限しようとするなら,
なぜ制限が必要だと学校が考えるのか,
それがよっぽどのことなのか,
その制限のやり方で意味があるのか,
それを,学校の生徒・保護者・先生で,
みんなできちんと議論し合い,
みんなが納得する形で,
みんなで決めていかなければなりません【★22】。
そうやってみんなで議論をして決めていくこと自体が,だいじな「政治」の一歩であり,
役所や学校が一方的に決めること自体が,子どもたちから「政治」を奪うものです。
この届出制のことを通して,みなさんが「政治とは何か」をより一層学ぶことができるはずだと,
私は強く思っています。
【★1】 昭和44年10月31日文部省初等中等教育局長通達(文初高第483号)「高等学校における政治的教養と政治的活動について」(以下「69通達」と言います)
【★2】 小林哲夫「高校紛争1969-1970」では,この頃の高校生達の要求項目を,次のように整理しています(86頁)。
(1)生徒指導,校則 ①生徒心得改訂,撤廃,②頭髪自由化,③制服制帽自由化,④登校するまでと下校後の外出禁止反対,⑤集会,結社の自由,⑥表現の自由,刊行物の検閲廃止,⑦男女交際の自由,⑧下校時の喫茶店,食堂などへの出入り自由
(2)教育制度 ①エリート教育反対,②定期試験廃止,③受験教育につながる学力試験,模擬試験廃止,④通知表廃止,通知表の成績評価廃止,⑤能力別コース廃止,⑥コース別編成反対,⑦理数系コース反対,⑧教科書粉砕,⑨授業批判の自由を認めよ,⑩女子クラス,男子クラス廃止,⑪自主講座の設定,⑫生徒会解体,⑬産業のための教育反対,⑭強制礼拝反対
(3)学校運営,政策 ①学校運営への参加,②職員会議の公開,生徒出席,③生徒指導部解体,④クラブ顧問制の廃止,⑤運動会や文化祭を自主管理,⑥PTA解体,⑦機動隊導入を自己批判せよ,⑧○○高校の処分に抗議するように要請,⑨封鎖やストの実行者や逮捕者への処分撤回,⑩校長退任,⑪学校の統廃合反対,⑫校歌廃止,⑬学校の経理公開,⑭不正経理責任追及,⑮学費値上げ反対,⑯各種式典反対,⑰修学旅行反対
(4)政治課題 ①ベトナム戦争反対,②沖縄奪還,③安保反対,④米軍基地撤去,⑤自衛隊反対,⑥三里塚(成田)空港建設反対,⑦紀元節復活反対,⑧産学協同路線反対,⑨文部省手引書,教育委員会通達による「高校生の政治活動禁止」粉砕,⑩○○闘争○周年(東大紛争,10・8羽田闘争など)
【★3】 当時の高校紛争がどのような状況だったかが一番詳しくわかるのが,小林哲夫「高校紛争1969-1970」(中公新書)です。また,高校紛争当時に出されたジュリスト442号(1970年1月15日発行)23頁「座談会 高校紛争 -高校教育に問われているもの-」も,公立高校教諭5人との座談会の形で,この頃の高校紛争がどのようなものだったか,教師としてどのような苦悩を持っていたかがわかります。さらに,久保友仁+小川杏奈・清水花梨(制服向上委員会)「問う!高校生の政治活動禁止」(社会批評社)も,高校紛争をわかりやすく説明しています。
【★4】 憲法21条1項 「集会,結社及び言論,出版その他一切の表現の自由は,これを保障する」
児童の権利に関する条約(子どもの権利条約)12条1項 「締約国(ていやくこく)は,自己(じこ)の意見を形成する能力のある児童がその児童に影響を及(およ)ぼすすべての事項(じこう)について自由に自己の意見を表明する権利を確保する。この場合において,児童の意見は,その意見の年齢及び成熟度に従(したが)って相応(そうおう)に考慮されるものとする」
同条約13条1項 「児童は,表現の自由についての権利を有する。この権利には,口頭,手書き若(も)しくは印刷,芸術の形態又は自ら選択する他の方法により,国境とのかかわりなく,あらゆる種類の情報及び考えを求め,受け及び伝える自由を含む。」
同条2項 「1の権利の行使については,一定の制限を課することができる。ただし,その制限は,法律によって定められ,かつ,次の目的のために必要とされるものに限る。(a)他の者の権利又は信用の尊重 (b)国の安全,公(おおやけ)の秩序又は公衆の健康若しくは道徳の保護」
【★5】 教育基本法2条 「教育は,その目的を実現するため,学問の自由を尊重しつつ,次に掲(かか)げる目標を達成するよう行われるものとする。 (略) 三 正義と責任,男女の平等,自他の敬愛と協力を重んずるとともに,公共の精神に基づき,主体的に社会の形成に参画(さんかく)し,その発展に寄与(きよ)する態度を養(やしな)うこと。」
学校教育法5条2項 「義務教育として行われる普通教育は,各個人の有する能力を伸ばしつつ社会において自立的に生きる基礎を培(つちか)い,また,国家及び社会の形成者として必要とされる基本的な資質を養うことを目的として行われるものとする。」
同法21条 「義務教育として行われる普通教育は,教育基本法…第5条第2項に規定する目的を実現するため,次に掲げる目標を達成するよう行われるものとする。 一 学校内外における社会的活動を促進(そくしん)し,自主,自律及び協同の精神,規範意識,公正な判断力並(なら)びに公共の精神に基づき主体的に社会の形成に参画し,その発展に寄与する態度を養うこと。」
【★6】 教育基本法14条2項 「法律に定める学校は,特定の政党を支持し,又はこれに反対するための政治教育その他政治的活動をしてはならない」
【★7】 69通達「第4 高等学校生徒の政治活動」「1 生徒の政治的活動が望ましくない理由」 「学校の教育活動の場で生徒が政治的活動を行うことを黙認することは,学校の政治的中立性について規定する教育基本法第8条第2項〔注:現在の14条2項。★6〕の趣旨に反することとなるから,これを禁止しなければならないことはいうまでもない・・・(略)」
【★8】 教育基本法14条2項〔★6〕の条文の主語は「学校」ですが,ここに生徒が含まれると読むのは,条文上も理論上も無理です。6条2項で「学校」と「教育を受ける者」とを区別していることや,14条2項そのものが「政治教育をしてはならない」という言葉を具体例として使っていることからしても,ここの「学校」に生徒を含むという解釈は文言上できません。そして,理論上もおかしいことは,記事本文全体で書いたとおりです。
【★9】 69通達「第4 高等学校生徒の政治活動」「1 生徒の政治的活動が望ましくない理由」 「特に教育的な観点からみて生徒の政治的活動が望ましくない理由としては次のようなことが考えられる。 (略) (6)生徒が政治的活動を行うことにより,学校や家庭での学習がおろそかになるとともに,それに没頭して勉学への意欲を失ってしまうおそれがあること」
【★10】 同 「(2)心身ともに発達の過程にある生徒が政治的活動を行うことは,じゅうぶんな判断力や社会的経験をもたない時点で特定の政治的な立場の影響を受けることとなり,将来幅広い視野に立って判断することが困難となるおそれがある。したがって教育的立場からは,生徒が特定の政治的影響を受けることのないよう保護する必要があること」
【★11】 同 「(1)生徒は未成年者であり,民事上,刑事上などにおいて成年者と異なった扱いをされるとともに選挙権等の参政権が与えられていないことなどからも明らかであるように,国家・社会としては未成年者が政治的活動を行うことを期待していないし,むしろ行わないよう要請しているともいえること」
【★12】 大阪地裁昭和49年4月16日判決(月刊生徒指導1974年7月号94頁,別冊ジュリスト64号「教育判例百選(第二版)」40頁) 「高校生といえども一個の社会人として,国の政治に関心を持ち,自ら選ぶところに従って相応の政治活動をおこなうことはもとより正当なことであって,…指導にあたっては,政治活動の如(ごと)く,生徒の基本的人格にかかわる問題については特に,いやしくも指導の名のもとに自己の政治的信条を押しつけたり,生徒の政治的自由を不当に抑圧(よくあつ)するようなことがあってはならないのはもとより,生徒にそのように受け取られないよう慎重な配慮がなければならず…政治集会やデモに参加することを一律(いちりつ)に禁止し,生徒の参加が予測される集会やデモには,その都度生活指導部の教師らが出向いて様子を見るという措置に出たのは…教育的見地から見て妥当(だとう)なものであったかどうかははなはだ疑問である」
【★13】 東京地裁昭和47年3月30日判決(判例時報682号39頁) 「未成年者とくに高校程度の教育過程にあるものについてその教育目的を達するのに必要な範囲で表現の自由が制限されることがあってもかならずしも違法ではないと解されるから,〔高校〕がビラの配布や集会を行なうには校長または生徒会主任の許可を得なければならないとしていることをもってただちに表現の自由を保障した憲法の規定や公の秩序に違反する無効なものということはできない。また,〔高校〕が政治的な集会やデモに参加することを禁止したのは,心身とも未成熟で十分な思考のできない高校生が特定の政治的思想にのみ深入りすることの弊害(へいがい)を防止し基礎的な教養の習得をはかるとともに,ややもするとこれらの集会,デモが暴走化する傾向があったことから生徒の安全を守るためであったことは前認定のとおりであって,未成熟者に対する教育上の配慮にもとづく相当な措置であると解されるから,これまた表現の自由を保障した憲法の規定や公の秩序に反する違法なものとはいえない。したがって,許可をうけずにビラの配布や集会を行なったことおよび禁止に反して政治的な集会,デモに参加したことを理由に懲戒処分を加えたからといって憲法に違反する無効なものということはできない。また,本件処分が思想,信条にもとづく差別扱いであることを疎明(そめい)する資料はないから,法のもとの平等を定めた憲法の規定に違反するということもできない」
東京高裁昭和52年3月8日判決(判例時報856号26頁) 「高等学校の生徒はその大部分が未成年者であり,国政上においても選挙権などの参政権が与えられていないが,その年令などからみて,独立の社会構成員として遇することができる一面があり,その市民的自由を全く否定することはできず,政治活動の自由も基本的にはこれを承認すべきものである。しかし,現に高等学校で教育を受け,政治の分野についても,学校の指導によって政治的識見の基本を養う過程にある生徒が政治活動を行うことは,国家,社会として必ずしも期待しているところではない。のみならず,生徒の政治活動を学校の内外を問わず,全く自由なものとして是認するときは,生徒が学習に専念することを妨(さまた)げ,また,学校内の教育環境を乱し,他の生徒に対する教育の実施を損うなど高等学校存立の基盤を侵害する結果を招来(しょうらい)するおそれがあるから,学校側が生徒に対しその政治活動を望ましくないものとして規制することは十分に合理性を有するところである。また,本件当時全国的な規模で展開されたいわゆる学校封鎖は,個々の場合においてそれぞれ異なる様相を呈(てい)したとはいえ,ほとんど常に暴力的破壊的性質を帯び,その結果は,単に学内に止まらず,多かれ少かれ社会一般の秩序を乱すものであったことは公知の事実である。それだけに,学校側が生徒に対しこのような行動に加担しないように教導し,生徒がこれに参加した場合に,その行為の性質その他の事情に鑑(かんが)み,適切な懲戒処分をもって臨むほか,処分後の指導においても,生徒に対し自己の行為の非を反省し,今後同じような暴力的破壊的行動に出ることを厳に慎(つつし)むよう指導することは当然のことであり,もとより生徒の政治的自由に対する侵害などと評価すべき限りではない」
その他,福島地裁昭和47年5月12日判決(判例時報677号44頁),福岡地裁50年1月24日判決(判例時報775号129頁),仙台高裁昭和54年5月29日判決など。
生徒が政治活動に参加したことを内申書に書かれ,高校が不合格となった麹町中学校内申書事件では,一審の東京地裁昭和54年3月28日判決(判例時報921号18頁)で生徒側が勝訴しましたが,二審の東京高裁昭和57年5月19日判決(判例時報1041号25頁)とその後の最高裁判所第二小法廷昭和63年7月15日判決(判例時報1287号65頁)では敗訴しています。
【★14】 これまで選挙ができるのは20歳以上でしたが,2015年(平成27年)6月,18歳・19歳も選挙権を持てるようにする法律ができました。2016年(平成28年)の夏から実施される見込みです。
(改正後の)公職選挙法9条1項 「日本国民で年齢満18年以上の者は,衆議院議員及(およ)び参議院議員の選挙権を有(ゆう)する」
同条2項 「日本国民たる年齢満18年以上の者で引き続き3箇(か)月以上地町村の区域内に住所を有する者は,その属(ぞく)する地方公共団体の議会の議員及び長の選挙権を有する」
【★15】 (改正後の)公職選挙法137条の2第1項 「年齢満18年未満の者は,選挙運動をすることができない」
【★16】 何が「政治的活動」なのかは,〔★17〕の通知に定義がありますが,とてもわかにくく,そしてあいまいだという問題があります。
「『政治的活動』とは,特定の政治上の主義若(も)しくは施策又(また)は特定の政党や政治的団体等を支持し,又はこれに反対することを目的として行われる行為であって,その効果が特定の政治上の主義等の実現又は特定の政党等の活動に対する援助,助長,促進又は圧迫,干渉になるような行為をすることをいい,選挙運動を除く」
【★17】 平成27年10月29日文部科学省初等中等教育局長「高等学校等における政治的教養の教育と高等学校等の生徒による政治的活動等について(通知)」(27文科初第933号)http://www.mext.go.jp/b_menu/hakusho/nc/1363082.htm
【★18】 69通達「第4 高等学校生徒の政治活動」「2 生徒の政治的活動を規制することについて」 「(3)放課後,休日等に学校外で行われる生徒の政治的活動は,一般人にとっては自由である政治的活動であっても,前述したように生徒が心身ともに発達の過程にあって,学校の指導のもとに政治的教養の基礎をつちかっている段階であることなどにかんがみ,学校が教育上の観点から望ましくないとして生徒を指導することは当然であること。特に違法なもの,暴力的なものを禁止することはいうまでもないことであるが,そのような活動になるおそれのある政治的活動についても制限,禁止することが必要である」
【★19】 平成27年通知〔★17〕 「第3 高等学校等の生徒の政治的活動等」「3.放課後や休日等に学校の構外で行われる生徒の選挙運動や政治的活動については,以下の点に留意すること。 (略) (3)放課後や休日等に学校の構外で行われる選挙運動や政治的活動は,家庭の理解の下,生徒が判断し,行うものであること。その際,生徒の政治的教養が適切に育まれるよう,学校・家庭・地域が十分連携することが望ましいこと」
【★20】 朝日新聞2016年1月30日「高校生の校外デモや集会参加 学校への届出制容認 文科省」
【★21】 最高裁判所第三小法廷昭和49年7月19日判決(民集28巻5号790頁,昭和女子大事件) 「大学は,国公立であると私立であるとを問わず,学生の教育と学術の研究を目的とする公共的な施設であり,法律に格別の規定がない場合でも,その設置目的を達成するために必要な事項を学則等により一方的に制定し,これによつて在学する学生を規律する包括的権能(ほうかつてきけんのう)を有するものと解すべきである。特に私立学校においては,建学の精神に基づく独自の伝統ないし校風と教育方針とによつて社会的存在意義が認められ,学生もそのような伝統ないし校風と教育方針のもとで教育を受けることを希望して当該大学に入学するものと考えられるのであるから,右の伝統ないし校風と教育方針を学則等において具体化し,これを実践することが当然認められるべきであり,学生としてもまた,当該大学において教育を受けるかぎり,かかる規律に服することを義務づけられるものといわなければならない。もとより,学校当局の有する右の包括的権能は無制限なものではありえず,在学関係設定の目的と関連し,かつ,その内容が社会通念に照らして合理的と認められる範囲においてのみ是認(ぜにん)されるものであるが,具体的に学生のいかなる行動についていかなる程度,方法の規制を加えることが適切であるとするかは,それが教育上の措置に関するものであるだけに,必ずしも画一的に決することはできず,各学校の伝統ないし校風や教育方針によつてもおのずから異なることを認めざるをえないのである。これを学生の政治的活動に関していえば,大学の学生は,その年令等からみて,一個の社会人として行動しうる面を有する者であり,政治的活動の自由はこのような社会人としての学生についても重要視されるべき法益であることは,いうまでもない。しかし,他方,学生の政治的活動を学の内外を問わず全く自由に放任するときは,あるいは学生が学業を疎(おそろ)かにし,あるいは学内における教育及び研究の環境を乱し,本人及び他の学生に対する教育目的の達成や研究の遂行をそこなう等大学の設置目的の実現を妨(さまた)げるおそれがあるのであるから,大学当局がこれらの政治的活動に対してなんらかの規制を加えること自体は十分にその合理性を首肯(しゅこう)しうるところであるとともに,私立大学のなかでも,学生の勉学専念を特に重視しあるいは比較的保守的な校風を有する大学が,その教育方針に照らし学生の政治的活動はできるだけ制限するのが教育上適当であるとの見地から,学内及び学外における学生の政治的活動につきかなり広範な規律を及ぼすこととしても,これをもって直ちに社会通念上学生の自由に対する不合理な制限であるということはできない」
【★22】 「在学契約説:学校が国公立であると私立であるとを問わず,在学関係は,学校設置者と生徒ないしその保護者とのあいだで,生徒が学校において教育を受けることを契約することによって成立する契約関係ととらえるもの。教育法学会の多数説である。(略)在学契約説では,学校・教師と生徒との関係は,憲法で保障されている子どもの成長発達と学習権を保障すべき法律関係であって,生徒や親は学校・教師に従属するものではなく対等な権利義務関係に立つことになり,校則は,学校・教師と生徒・親との契約内容を示すものとなる。したがって,校則の内容について両契約当事者の合意が不可欠であるということになり,校則を制定・改変するにあたり,生徒・親の参加は当然のことである。この考え方は,現行憲法原理及び前記最高裁判決〔注:昭和52年3月15日第三小法廷判決〕,子どもの権利条約28条(教育への権利),1990年11月国連総会で採択されたリヤド・ガイドラインのⅣのB教育(20条以下31条-特に21条cでは「単なる対象物としてではなく,積極的かつ有効な参加者として青少年を教育過程に参加させること」とうたっている)について定めた規定,国際人権規約A規約13条(教育についての権利),児童権利宣言7条(教育についての権利)等の諸規定とも,趣旨において最もよく適合するものであり,適切な考え方である」(日本弁護士連合会「子どもの権利ガイドブック」134頁)
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